「ヴァレリオ・ハーバーって島知ってる?」。群青を含んだ黒の眼差しで一点を見つめて云う。その目が光を知らないなんて、嘘だろ。「海と空と街がすごく綺麗なところなんだって」。窓際の水はこの時刻になれば光に姿を変え、天井や壁や寝衣姿のたかみやをきらきら撫でる。何の違和感もない。だから光になりたい。「そこに住む人たちは、見飽きることがないらしいよ。島の上にひろがる空の青さについて」。繰り返され過ぎた言葉。日が経つにつれそれを口にする度合いが増す。「へえ。すごいな」。ひたむきで単調な相槌を打ってくれる優しいひと。でもただそれだけのひと。そんな自分に正直うんざりだ。俺は今日三度目の溜め息を吐く。「そこにいるんでしょ?さくらい」。甘い呼びかけには抗えない。手を求める手をゆっくり繋いでやると、たかみやはひどく嬉しそうに笑う。その笑顔から急いで目を逸らした。この汚さを、たかみやは知らない。「ねえ、さくらい。飽きることのない青なんて、この世界には本当にあるの?」。「さあ。あるんじゃないの」。この狡さを、たかみやは知らない。




青 を お し え て




青空をのぼるクリアな歌声。屋上には洗い立てのシーツが一斉に干されている。その間を右へ左へ駆けるたかみやの背中を追う。「たかみや、走ったらあぶないって。……たかみや、今どっち」。「そっち」。完全にからかわれている。「くそ、」。アスファルトに這い蹲った。思ったより近くにたかみやの足首。くるぶしの白さ。まだ逃げようとしている、方向を決めかねている裸足の爪先。翻るシーツの一枚、もう一枚、たかみや、まとめてわざと粗暴に抱き込む。不意打ちに驚く肩が一瞬だけ強張ってすぐ元に戻る。「たまには素直に忠告を聞けよ」。「厭だ」。抱き締めた背中が前よりも薄くなった。シーツ越しに分かるくらいそれは明らかだった。濃い切なさが咽を焦がす。たかみやの前髪に鼻を触れて深呼吸する。口では厭だ厭だと云いながらも、たかみやは意外にも大人しくしている。だから薄い瞼にこの瞬間を何度も焼き付ける。まるで光は明日にでも見えなくなってしまうように。根拠のない不安に駆り立てられるように。臆病に、貪欲に、焼き付ける。「あいしてね」。その時ぽつんと発せられたたかみやの唐突な願い。哀しい予感が強くして俺は呼吸さえも忘れてしまいそうだった。どうして今そんなこと云うの。「もしも明日が最後でも、さくらいはあいしてね、だれかを」。どうしても、今しか見つめるわけにいかないのか。

えいえんなんてなかった。

「……本気か」。いとも簡単に、屋上で告げたとおりに、翌朝たかみやはきえた。たかみやの寝ていたベッドには剥き出しのマットレスだけが残っていた。あの島へ行くんだろう。俺はぼんやりとそう思った。たった一人で、荷物も持たず、行くんだろう。きっともうその目は見えるよ。あんなにも長い時間、光に憧れたんだ。ヴァレリオ・ハーバー。昨夜その島を地図に探したけど見つからなかった。他のどんな方法で調べても結果は同じだった。それでもたかみやならちゃんと辿り着くだろう。乞い続けた青のある島に。飽きることのない青、たった一つの色すら持たない君にそれは鮮やかすぎるかも知れないけれど。

永遠なんてなかった。

あるのは光と青と褪せないワンシーン。この肌に触れていたたかみやの細い体、その時吹いていた暖かな四月の風。二人は確かに時間を共有して、今はもうこの部屋にいないたかみやは俺の上に小さな傷ひとつ残していった。小さいけれど、癒えるのには時間がかかるだろう。でもそれでも良い。たとえば一生癒えなくても、それで良いのかも知れない。たかみやは視力を持たないのにいつだってすべてを見知っているような顔をしていた。こっちがどれだけその性格と我が儘に振り回されたか。だけど、これだけは知らないだろう。たかみや。飽きることのない青、君さえ隣にいたならば、それはどこにだって存在したんだよ。

040410