本を読むことを楽しく思えなくなったらどうしようと考えることがある。何かをいつまで好きでいられるかなど自分の意思の及ぶところではないと思うからだ。ずっと好きだと思っていたものがある日突然嫌いになったり、嫌いになるとまではいかなくとも以前ほど好きではなくなるというようなことが、生きていく以上刻一刻と変化している人間の性質上、ありえないはずがないと思うからだ。現に人の心は移ろいやすい。だからこそ誘惑という手段は無くならないのだし、人は旅に出るのだし、本を読むのだし、人と出会うのだし、そして別れるのだし、生きていけるのである。もしも人の心がその人の思いのままになったとして、何を好きになって嫌いになるかがコントロールできる範囲内で、ままならないこと部分などどこにも無いのならば、厄介ではなくなる分、きっと退屈だろう。
 ふらりと出かけていった月山のおかげで広く感じる部屋の中、本を片手におれは久々に、五つ子の子守から解放された親のように寛いでいた。ひとりってこんなにいいものだったか。誰もいない自分だけの空間で読書をすることがこんなに快適なものだったか。
 しかしその平和もやがて終わりを迎える。
 チャイムが鳴らされ、こちらの返事を待たずドアが開かれた。
「よっ」。
 玄関先に立って片手を上げたのは民也だ。四日間の野宿を経験して以来、纏う雰囲気にワイルドさが加わった気がする。その男については半ズボンから伸びる脚がまだすべすべだった小学生の頃から知っているおれのこと、経済的に恵まれた家庭環境に育った彼が母親の影響で、身の回りから彼自身の身だしなみに至るまで、ほんのりと潔癖に近い性質を持っていたことくらい知っている。それがあの事件、そうあれは『琥珀さん取り違え事件』と命名することにしたのだが(ついさっき)、数日前のあの事件以来、民也の中で何か目覚めたものがあったようだ、屋根の無い暮らしっていいと思わないか、と呟いたり、おれは特定の住所を持たないことにする、と宣言したりと要は少々心配になる言動が増えてきている事態なのだ、まあおれは一過性の事態だと信じているから、いや信じたいからこそ返事もそこそこに済ませているが。
 さて民也にそんな変化をもたらすきっかけとなったあの琥珀さん失踪に端を成す『琥珀さん取り違え事件』のことについて話そう。

 数日ぶりに民也と携帯で連絡がついたあの日の夕方、彼は一匹の猫と一緒にこの部屋を訪れた。ひとまず貴様は風呂入れ風呂に何はともあれ風呂に、と薄汚れたあやつを浴室へ押し込み、はふ、と息を吐いたおれは受け取った猫を改めて見下ろし思わず「はめやがったな……」。脱衣所のカーテンをシャッと開けた。下着に手をかけていた民也が「きゃっ、葉月くんエッチい!」と少女のような悲鳴を上げて胸元を隠す仕草をしているところへ「やってる場合か」と半ば本気の脛蹴りを喰らわせ、猫の首根っこを掴んで鼻先に突き出してやった。
「なあ、なあ。おれの目が節穴だって見くびってんの」。
 半裸の民也が、ほえー? と間の抜けた返事と共に首を傾げた。
 おれ、イラっ。
 温度差の生じた二人の間で伸びきった猫が、なーん、と甘く鳴いた。
 まあ、確かに。似ていないことは無かった。実際おれだって写真で見間違えた。疑わなかった。だからって実物を見ていて間違えるようなことがありうるだろうか。あの琥珀さんと。あの琥珀さんと、だぞ。自分のことを棚上げして二回云わせてもらいますよ。
 おれは紋所を突き出すように猫を民也へさらに接近させた。
「おい、こら。民也くんよ。なんとか云えよ、ああ?」。
「……葉月くん恐い」。
「おまえもしかして口実作りにこの猫さんの顔を借りたってわけじゃないよな」。
 おれは琥珀さんではない白猫を手の中でひっくり返したり回したりしながらその模様の違い、毛色から毛質における本物の琥珀さんとの微妙な相違点、そして何より性別の違いを指摘した。
「そもそも琥珀様は姫君であらせられるんだよ、姫君で。それをどこぞの殿方とすり替えておれの目を黙くらかそうなんて片腹痛いわ!」。
 両手を脇に下ろしておれの言葉を受け止めていた民也は始終ぼうっとしていたが数秒経った後に、ハッ、と閃いた顔つきになり、まさか、とおれの顔を見返した。
「まさか……その猫様は琥珀さんでは無い、と?」。
「さっきからそう云っておろう」。
「おれの目に狂いがあったというわけか……」。
 民也はその場にずるずると座り込んだ。おれは相手が間違いを認めたことに満足し、怒る気も失せた。それに、しゃがみ込んだあいつの体を見下ろしていて、おれは不覚にも首の後ろの骨の出っ張りを正視できなかったのだ。ま、ともかく汗と汚れを流せ、と促しながら、民也を責める気持ちはとうに萎えていた。今さらながら民也から「好きなんだけど」と電話口で告白されたことを思い出したのだ。確かに聞いた。冗談で無い様子だった。だけどその時は冗談で無くても、それを云った民也の精神状態が通常だったとも限らない。久々に声を聞いて安心して、それでうっかり、なんてことも考えられる。となると、うっかり、の方向性がよくわかんないけどな。まあ細かいことは気にしない。人間なんてそんな精密じゃないんだし。第一、民也だってどうやら云ったことを忘れているようだ。玄関先で顔を合わせた時も気まずそうな様子は無かったし、かと云って開き直ってしまった時の様子でもなかったし、幼馴染の、しかも同性に本気の想いを告げた後の、しかもまだ返事を受け取っていない男の、取る態度では無かった、と、思う。思、う。
 ふと思い立ってキッチンで「そうだ空腹だろうから何かこしらえてやろう」とまな板を見下ろしながらおれは、告白を受けたのが初めてであることに気づく。この、間も無く二十年に届こうかというおれの人生。成人を目前にようやく掴み取った青春の象徴(その機会に恵まれてこなかったおれのステレオタイプな表現であることは間違いない)とも云える、告白のシーン。相手が民也とは。女なら喜んで受けただろう。あいつのことを知っても間もない女なら。だけどおれは知り尽くした男だ。まあそのどちらも突き詰めて云えば何も障壁にはなりえないんだけど、おれの場合はなりえた。
 おれが悶々としながら何もないまな板を包丁でとんとん叩いていると名も無い猫が脚にじゃれついてきた。これだけ人馴れしているということは飼い猫かも知れない。そうでなくとも以前飼われていたことがあるのだろう。なーん、なーん、となんともなまめかしい声をあげながらおれの脚の間をぐるぐると回っている。琥珀さんではありあえない甘えっぷりについつい名前を与えてしまう。ルー殿。そうだ、この子はルー殿にしよう。白地に茶の斑があるところがカレーっぽいから。そうだ、そしておれは今からカレーを作ろう。ルーの残りがあったはずだ。
 やがて風呂から上がった民也が腰にタオルを巻いただけの格好で出てきて「腹減ったあ」とまとわりついてきたので肘鉄でもってげしげしと腹筋を攻撃し、「座ってろ」と指示を出す。民也の髪から滴った水滴が服の中に落ちて肌の上を滑って落ちた。ぞく、と身震いが起こる。
 鍋のタイマーをセットし、窓の外を確認すると薄暗くなっていた。今日はこのまま泊まるパターンに近い。そういえば月山はどこまで出かけていったんだ。まあ戻って来ないならそれはそれで助かるが。三日経って戻って来ないなら心配してやらんこともない。
「葉月くん」。
 何、と素っ気無いふうを装って素っ気無い返事をする。
 細かな水滴の残る身体はしっとりと光って見える。引き締まった体つきに目が吸い寄せられる。誓って純粋に憧れの気持ちだ。おれの体とは違う。
 立膝をついた民也はいつの間に引っ張り出したのかおれの下着を穿いている。その上いつの間に回したのか脱衣所の洗濯機ががたごと鳴っている。手が掛からないのはありがたいが一応おれの家ですが。
「あの後ちょっとは、考えた?」。
 民也の顔がおれを向く。真面目な目がおれの答えを待って静かに、そしてゆっくりと瞬く。はぐらかすことを許さない目だ。おれは後ずさりたくなるような緊張を覚える。
「嫌でも考えるだろ」。
「で、どう」。
「どう、って」。
「おれと、やれそう?」。
 スパーン。
 おれは思わず脱いだスリッパで民也の頭を殴っていた。
「何抜かすんだ」。
 冷静さを取り戻したおれは再びスリッパを履き直すともう一度、一言ずつ区切るように、
「何、抜かすんだ?」。
 笑顔さえ見せた。
 一方の民也はそれに動じず、さっき風呂場で、から続くぞっとするような言葉をおれに聞かせた。
「人の風呂で変なことやってんじゃねえよ!」。
 スパコーン。
 今度投げたスリッパは民也にかわされ壁を直撃。
 さっき頭を叩かれたのはわざとだったのだろう。それでおれの気を落ち着かせようとしたのか。だとしたらその落ち着きが余計に腹立たしい。一体こいつはどこまで本気でおれをおちょくるのか。もしくは、本気、なの、か? ただの。
「結局さ、好きって二種類じゃん。やるかやらないか。やれると思えるかそう思えないか、もしくは、思うか思わないか。その違いじゃん」。
 ちょちょちょ、とおれは民也の顔の前に掌を突きつけた。
「黙れ、な。落ち着こう、民也。そうだ、サラダも食べるか?」。
 いそいそ立ち上がろうとするおれの手を民也が握った。
「ううん。いらね」。
「いらなくても、離してくれよ」。
 その手を。
 強い力。
 恐いから。
「あ、そうだ。この子に名前つけたんだ。ルー殿にしようと思、って、」。
 突然だった。
 不可抗力だった。
 気を抜いたわけではなかったがあそこまで急とは思わなかった。
「あ、ごめん。ありがとう」。
 不意を突かれたのは自分の方であるかのような表情を浮かべて、民也はさらっと謝った。
 弾かれたように体を離したおれは言葉にならない言葉をぎゅっと濃縮して余計に意味不明の音声になった悲鳴を一度きり上げ、信じられない信じられないといった目で民也を見た。
「今ので満足したから今日はもう良いや」。
 ついさっきまで深刻なムードを漂わせていた張本人はいつもの調子に戻ると「さーて、夕飯まだかなー」と鼻歌混じりにキッチンへ立った。残されたおれは「満足って何だ、今日はって何だ」と遅い反論を弱弱しく呟く。まるで独り言のように。

 琥珀ちゃん、見つけましたよ!!

 ひめかわくんからメールが届いたのはカレーの残りが皿半分に達した時だった。
 添付写真を見たおれは、おお、と声を上げた。
 これぞ琥珀様。偽り無く本人(本猫?)だ。
 今朝、たまたま出会ったとは云えひめかわくんらに話しておいて良かった。そうでなければ琥珀さんの発見は先延ばしになっていたことだろう。
「ひめかわくん? って、誰?」。
 民也が首をかしげる。ああそうかこいつにはまだ何も話していなかった。というわけでおれは民也が音信不通だった間にひめかわくんや王子くんとドーナツショップで同席したことなどを手短に話してやる。
「あ、そう。へえ。人見知りの激しいお前が高校生に手え出すたあね」。
「変な云い方すんな」。
「王子くんってあの王子くん?」。
「あのってどのだよ」。
「信哉の弟っていう」。
「あ、知ってんだ」。
「知ってる知ってる。おれの情報網をなめんな」。
「いや急にキリっとした顔されても。どうせ女絡みだろ」。
「お、よくぞ。そうそう、信哉狙いの子がいてさ、電話で会話してるとことか結構盗み聞きしちゃうんだよね偶然を装って」。
「たち悪いな……」。
「そんな中で、王子って名前が頻繁に出てくるんだって。漏れ聞こえた情報を組み合わせるとなんでも弟だってんで。そういう経緯なのさ」。
「あ、そう」。
 おれはひめかわくんに返信を書く。その間、ひめかわくんから新たにメールが届いた。先にそちらを確認しようと開いたおれは思わず画面に向かって、おいまたかよっ、とつっこむ。
「どした葉月?」。
「この子ら、また、はぐれてる」。
「携帯あるんだし大丈夫でしょ」。
 民也は云うがそれでも心配だった。何だろう、この、親心。彼らを見守りたいというあったかい気持ち。なんてときめきっぷりに新しい自分を発見しちゃってる場合じゃない。
 ひめかわくんから着信があって、びゃあ、と泣き出さんばかりのおろおろした声が飛び込んで来るまで数秒とかからなかった。
 ひめかわくんは慌てていた。動揺していた。それもそのはず携帯の充電が切れる直前だったようで彼は最後に「信哉さんにオージセンサーがあるのでっ」と云い残して切れた。
 非情なツーツー音を耳にしながらおれは民也に暗号解読の協力を要請する。
「信哉さんのオージセンサー。って、民也、何だと思う?」。
「そのまんまじゃねえ? 王子くんを見つけ出す能力、みたいな。ひとまず響信哉に連絡してみたら? あ、でも連絡先知らないか……」。
「や、分かる」。
 思い当たるところのあったおれはカレーの残りを平らげると立ち上がった。なになにおれもおれも、とついてきた民也を振り返って「ひとまずおれの服を着ろ」と忠告する。さすがにパンツ一丁で出歩かれたら困る。ルー殿は迷った挙句、部屋の外に出してしまうことにした。途中、ソーソーくんに出くわす。おれの抱いたルー殿にちらりと一瞥をくれ「琥珀と違うアル……」と一言。見誤るどころか逡巡もしない。さすがだ。

 ねえねえどこ行くの、と後をついてくる民也はおれより歩幅がでかいから本当はいつだっておれのことを追い越せる。途中、バスを利用し、駆け足に近い早足で目的地に辿り着いたおれの背後で「ははあ、ここね」と頷いた。
 市立図書館。閉館の十分前だった。

 カウンタには期待通り、タナカさんの姿があった。「タナカさ」、呼びかけたおれはタナカさんと向かい合った人物に気づいて慌てて書架の陰に体を隠した。ほえ、と不思議そうな顔の民也も引っ張り込む。
「何してんの、葉月」。
 声がでかい声が、とおれは民也の口に手をあてる。
 物陰からこっそり目を覗かせたおれは、やっぱり、と思うと同時に、でも何で、と疑問を抱く。
 タナカさんと話している人物、その正体は月山だった。
 癖っぽい茶髪。黒いシャツ。立っている時、ポケットに手をひっかけるところ。月山に間違いない。おれは民也がルー殿を琥珀さんと間違えたように彼を間違わない。ソーソーくんが「琥珀と違うアル」と云ったように月山を見分ける。
「お、月山だ」。
 遅れて民也が気づく。
「何、知り合いなのか?」。
 民也が口にしたその台詞の答えはおれが知りたい。
「……みたいに、見える、な」。
 おれは二人の様子からかろうじて読み取った。こちらからはタナカさんの表情しか窺えないが、どうやら込み入った話のようだ。おれが知っているいつものタナカさんとは違って見えた。どう違うかと云うと、あの独特のオーラ、タナカさん的癒しオーラが感じられない。時々漏れ聞こえてくる語尾から推測するに、身内に対するような響きがある。おれは「え、ええ?」と内心クエスチョンマークを放出させながらこれまでタナカさんか月山のどちらからか何かしら聞いていなかっただろうか思いをめぐらせる。結局何も思い出せなかった。そうこうしているうちに月山が踵を返す。おれと民也はまたこそこそと書架の陰に身を潜めた。黒シャツの後姿が見えなくなるのを待って、おれと民也はカウンタに寄って行った。
「あ、おや、葉月くん、こんにちは」。
 タナカさんはおれを見ながら月山の去った方向を気にかけた。
 何かある。
 おれは確信を抱いたが今は問い詰める時じゃない。
「あの、ちょっと調べたいことがあるんですけど」。
 おれの申し出にタナカさんは狼狽の色を隠せなかった。
 これは、何かある。
 絶対だ。
 だけどおれはぐっと堪える。
「響信哉という利用者の携帯番号を知りたいんです。大学の後輩で、連絡したいことがあって。こないだここに来て利用者カード、作ってたのを思い出して」。
 それを聞いてタナカさんの顔に安堵の色が浮かぶ。ああなんだそういうことか、と口にしたようなものだった。

 それからの展開はトントン拍子だった。おれから話を聞いた信哉は「そうか、分かった」と何事か把握した調子だった。電話を顔から離した後なのだろう、ひめかわが、と苛立たしげな舌打ちが聞こえたのは気のせいじゃなかった。あいつら一体どういう関係なんだ。こちらはこちらで気になる。もしかするとひめかわくんは今回の件で信哉に責められるかも知れない。それでも信哉のオージセンサーをあてにしたのはひめかわくんが先だ。おれは頼まれたことをやったに過ぎない。これで罪悪感はほとんどゼロに近付く。まったくのゼロに届かなかったのは、信哉の「ひめかわが」と吐き捨てる低い声が地獄の底から響いてくるような、沸き起こった感情を必死で押し殺したが故にかえって感情的に聞こえる声が思い起こされたからだ。その後、特に用事が無くなったおれと民也は暗くなった帰路をぶらぶら帰った。途中でコンビニに寄って民也は歯ブラシセットを、おれは麦茶を買った。「泊まんのかよ」。おれの声が不服そうに聞こえたのだろう、民也は「悪いね」と断った。しかし図々しいことに変わりは無い。今さら図々しいも何も、という気がしないでもないが告白を受けてしまった以上、一緒の部屋で寝ることに抵抗がまったくないと云ったら嘘になる、というおれの心内を察したのか民也が「何もしないよ」と云う。おれも思わず「されてたまるか」と返し言葉。
 アパートに着く頃、信哉から着信。
「オージは無事に見つかった。礼を云うぞ」。
 こいつ年下じゃねえ。
 おれは悟る。
 二つか三つ、年上だ。
 そうでなくてもおれの大学には浪人を経験して入学してくるやつが多い。特に信哉のいる学部はその割合が高い。
「それは、良かった」。
 背景から「ありがとうございました、葉月さんのおかげです!」とひめかわくんの嬉々とした声が飛び込んで来る。続いて、ぬーん、という琥珀さんの鳴き声。
「迷い猫もついでに確保した。どうやらそっちで捜していた猫らしいな。良かったら連れて行くが?」
 そう申し出られておれは甘える。アパートまでの住所を教えると、徒歩で来るものとばかり思っていた信哉はなんと車を運転してやって来た。ちょうど帰ってきたところ、アパートの入口前にて出くわす。
 運転席から降り立った信哉の姿を見た途端、隣の民也が背筋を伸ばしたのが分かった。おいおい、こいつは。
「じゃあ、そういうことで」。
 琥珀さんをおれの手に預けて、踵を返した信哉の背中を民也はうっとりとした目で見送った。
「超美形」。
 後部座席にひめかわくんと王子くんを乗せた車が幅の狭い道路を歪み無く走り抜ける。
 ほう、と溜息を吐いた民也の尻をおれは膝で蹴り上げた。
「戻るぞ、家に」。
 おれの言葉に民也が頷く。
「うん。おれたちの、家に」。
 ちげえよ。
 おれはもう一度、硬い尻を蹴り上げる。
 図書館で見たタナカさんと月山のツーショットが一瞬脳裏に蘇り、舌に乗せたオブラートみたいに消えてった。

と、いうようなことがあったんだよ。