「いけないよ、とだけは云うなよ?」



い け な い よ



行けないよ。
が駄目。
となると、ええと、じゃあ。
「土曜の朝からあなたのお宅へ伺う気分になれませんので悪しからず。それでは御機嫌よう」
何その切り返し方お前小学生かよだっさマジだっさ!とか何とかかんとかの雑音を受信する受話器を今にも置いてやろうと思った。こっちの気配を察して一分以内に黙れば考えてやらないこともなかったけど、ついに雑音は一分経過後も途切れることがなかったので容赦なく受話器を置いた。ついでに取り上げたままにしておき二階の自室に戻る。
すると間もなく玄関のチャイムが連打される気配があり、勝手を知る忍耐力不足の侵入者Rは縁側から入り込むと、どかどかと不必要な足音を豪快に立てながら、二階にあるおれの部屋まで上がって来る。
ドアを開けるなり侵入者R、即ちレンは大声を出した。
「何で無視するわけ!はっきりした理由でもあんの!」
伊達イヤフォンの影響で声量が調節できなくなっているらしい。お可哀想だ。
「うん、あんの。三つほどあんの」
「お聴かせ願おうか」
「レンが心底うざいから。レンにもはや付き合いきれないから。限りある自分の人生をレンで無駄にしたくないから」
さあそろそろ云い返してくるな、と思ってベッドの上で寝返りを打ち、逆襲を待機したが、予想に反してレンはじっと黙ったままだった。
幼なじみともなると会話の内容よりもテンポを重視して発言するようなところがあって、そうまともに受け取ってもらうと困るんだけどな。
云い過ぎた。
少し申し訳ない気持ちで振り返ると、その男は人のクロゼットから勝手に昔のアルバムを取りだして眺めているところだった。
「貴様、何やってんの」
「いや、ちっちゃい頃のお前かわいかったなあと思って。時間って巻き戻せないんだなあと思って。人の心なんて諸行無常だなあと思って。平家物語の文章で覚えている部分なんて、よっぴいてひょうどはなつ、くらいだなあと思って何か面白いから」
殺意発生。
しかしさっきのこともあったし云い返すのはやめにしておいて、レンと一緒になってアルバムを覗き込む。
確かに、いつも。
兄弟みたいに一緒だった。
家もそんなに離れていなかったし、むしろ目の前だし、顔見ない日を数えた方が早いんじゃないかな。めくってもめくってもレンが出てくる。これでは、まるで、
「背後霊のようだ」
「いや、守護霊だ。おれはいつだってお前だけを守ってきただろ。お前が牛乳瓶の蓋をうまく開けられなくて指ごと突っ込んだ時には自分の飲みかけと交換してやったし、お前が自宅への帰り道さえあやふやになってるような方向音痴ぶりを発揮した時には町内の電柱全てにお前の家までの手書き地図を貼ってあげたじゃないか。いつしか剥がされたけどね」
「お、これ第一次家出事件の記念写真だ」
「ん、華麗にスルー」

さがさないでください。
おれ宛の暑中見舞い葉書の裏にあったのは、レンの汚い文字だった。あれは、小学校二年生の夏だったか。向日葵のイラストの付いた葉書の裏いっぱいに、まるで<さがしてください>と懇願するかのようなサイズで<さがさないでください>の文字。プラス、下には小さな文字で<ちなみにおれの位置は、ここです>。住所はレンの叔父が所有する別荘だった。
おれはその場所を訪ね、そこでおれたちは四日間二人だけで生活したのだった。
互いの親は、おれはレンの家に、レンはおれの家にそれぞれお泊まりしているものとばかり思っていたらしく発覚が遅れた。もともとどちらの保護者も子どもに対して干渉しない、自由放任主義な、まあ悪く云えば無責任な、けれども当時のおれたち子どもにとってみれば大層理想的な性格をしている人たちだったし、第一次家出事件の時もそんなに怒られず済んだ。記念写真なんか撮っている辺りが手頃な証拠となるだろう。ちなみに第二次家出事件は第一次家出事件の一週間後に勃発する。

「何だかんだ云って二回ともおれに付いてきてくれたもんな。あの頃のお前は、本当にかわいかったなあ。素直で云いなりで寝顔に落書きされてても気づかなかったし、夏休み終了間近の修羅場で仮病使えば自分の宿題差し置いてでもおれの手伝ってくれたりしてたもんなあ」
「おい、待て」
「うん」
「お前が毎年八月三十一日になると生死をさまようほどの高熱を出すというあれは、すべて作り話であり嘘であり演技だったのか」
「普通気づくよね」
九月の第一週末はこのように幕を開けた。
おれはベッドの上で読書し、レンは相変わらずアルバムを眺めては何事かぶつぶつ呟いていた。恐ろしい内容に違いないので聞きたくはない。
そうしている内にアルバムも見尽くしたのか、退屈になってする事と云ったらこれだな、と云わんばかりの図々しさでこっちにちょっかいを出してくる。
あまりのしつこさに思わず本の角で額を狙ったら見事に命中してしまい、むしろこっちが驚いた。
「レ、レンがいけないんだぞ。今のは……」
顔を上げたレンはおれの狼狽ぶりを見て勝ち誇ったようににやりとした。かと思うと犯行に使用された凶器を奪い取り、タイトルを読み上げる。
世界名言集。
さっきはいつもの癖で咄嗟にレンが悪いように云ってしまったが、本の角を選択したのは明らかに自分のミスだったので、おれはレンから無理に本を奪い返そうとしなかった。怪我させなくて、良かった。
ちょっと、休憩。
ベッドの上に体を倒し、窓の外を見ると、喪服姿の貴婦人のような蝶がひらひら飛んでいた。それともあれは、蝶の、影だろうか。空に映る蝶の影。

もしも私が神だったら、私は青春を人生の終わりに置いただろう。
……アナトール・フランス

かと思えばもう一匹の喪服蝶が窓枠の隅から現れて、先ほどの影と戯れ合いながら浮いたり沈んだりした。
前戯かなあ、あれ。
「刺激が強すぎるよ」、眼鏡を外して枕元に畳んで置く。
母親の職業は接客業、土日勤務は当たり前。毎朝七時には家を出る。土曜の朝は一人静かに読書するのが日課なのに。今日は何でまたこんな、災難の権化のような男が転がり込んでくるんだ。まあ、毎度のことだけど。
世界名言集は厚い割に余白の多い本だから、あほなレンにも楽しめる、大変にお得な一冊となっている。しばらくは大人しくしているだろう、と思い、おれは今朝の不幸を忘れて眠ることにする。
その時を見計らったようにレンが喋り出す。
「もしも私が神だったら、」
空耳かな、と思って瞬きをすると、レンの声がより鮮明に聞こえた。
「私は青春を人生の終わりに置いただろう。……さあ、これは誰の言葉でしょうか」
「……アナトール・フランス」
「おお、正解」
どうして問題にそれ選んだんだ、と訊きたかったが、テレパシーだの運命だの云い出されるに違いなかったのでやめておいた。でも、びっくりした。たまたまにしても。びっくりした。おれが思い浮かべていた言葉。ぶ厚くて余白だらけで、その一行を選ぶ確率なんて、すごく低い、本の中から。
だから、そういうのが、いけないんだって云うの。
お前は、何にも、気づいていないのかも知れないけど。
本当に、いけない。
お前は、いけない。
でも、おれも。
二匹の蝶はもつれ合いながら世界の果てに行った。
ふとおれは途方もなくさみしい気持ちになって「もっと」と強請った。
「もっと、続けて、レン」
「了解。『人は十五歳の時たくさんいろいろな事を考える。そして人生の問題を殆ど発見する。 その後は、それに慣れて、だんだんにそれを忘れていく』」
「……シャドンヌ」
「じゃあ、『二十歳のときに詩人であるものは、詩人ではなく、ただの人間にすぎない。 二十歳を過ぎて詩人であれば、そのときかれは詩人である』」
「……ペギー?」
「『青年は教えられることより刺激されることを欲するものである』。……うーん、何か卑猥だな。女子大生家庭教師に教え子は男子高校生、の図?先生おれが知りたいのはコサインの求め方じゃなくておれ自身の体の仕組み……!の、図?」
「ゲーテ侮辱すんな」
「うん、ごめん。……『青春の夢に忠実であれ』」
「……シラー」
「じゃあ次はね、『大人とは、裏切られた青年の姿である』」
「……太宰治」
「うーん?じゃ、青年は何だ?」
「青年とは、裏切られる前の大人の姿。だな」
「ふうん。ひっくり返しただけじゃん。いかにも優等生のやりそうなこと。オリジナリティはどこだい」
「ああ、そう、悪かったね。劣等生のレン様なら何て?」
「青年とは、年齢に関わらず、恋するすべての男の呼称である。古賀蓮」
「後世には残んないね。一分後には息絶えるね」
「いや、古賀蓮の直筆で書き足すから」
「やめろよ、ばか、それ図書館の本だって」
「ああ、やだやだ。これだから伊達眼鏡は。図書館に並ぶ本には一言たりとも直筆の書き込みがあってはならないという既成概念に縛られているんだ」
「最低限のマナーだろ。眼鏡関係ないだろ」
レンなら本当に書きかねないので阻止目的で手を伸ばすと、交われされた拍子に体勢を崩してベッドからレンの上に落ちた。
別に狙ってないからなっ、と声を張り上げると、狙うって何を、と、きょとんとされる。
くそ、しらじらしい。
下敷きになったままのレンがおれの両腕を掴んで口を開く。
分かる、分かるぞ、またろくでもないこと云う気だ、こいつ。
「もしも私が神だったら、私は青春を人生の終わりに置いただろう。しかし私は神でなくとも、青春を人生の終わりに置くことができる。古賀蓮」
まあ多少気になったので「その心は?」と合いの手を入れてやる。
なんとなあく嫌な予感を覚えながら。
「古賀蓮十五才、思春期真っ直中、今、おれ、死んでも良い、って、思ってる!」
何故だろう、猛烈に、吐き気が。
「ふうん、そう。だったらお前の青春を人生の終わりに置いてやる手助け、おれがしてやろうか?」
「お言葉ですが、瞳孔が開いております」
「あれ、知らないの。人間、本気の時は瞳孔閉じないんだぜ。学習できて良かったな?」
「……すいませんでした」
土下座しながらなお額を床に打ち付けるレンの姿を見ていると、気分が晴れてきたので、おれは先ほどのレンの失言を許してやることにした。
そういえば、
「そういえば、レン。お前何か用あった?電話掛けてきた時」
あ、そうだった。と云ってようやく土下座の姿勢を崩したレンは自分のバッグをごそごそ漁って中からプリントを一枚取りだした。
「見よ。英語の宿題。月曜〆切」
「はあ。そのためにおれを自宅へ呼び寄せようとしたわけ?本来お前の方が土産の一つ持ってこっち来るべき理由で?」
おれの吐く毒を身軽にひょいひょい避けながら、レンはにやにやしている。
「なあ、なあ、エコーちゃんよう。ご恩と奉公って言葉知ってるか」
「今関係ないだろ。……暑苦しいから離れてくれないか、後生だから視界に入らないでくれないか」
「三重光太の失恋による傷心を癒したのは誰でしたっけねえ」
「帰れ」
しっ、しっ、と手で追い払うと次は泣き落とし作戦に移る模様だ。
「エコーは、本当に、優しい子でした。賢くて、かわいくて、他人の心の痛みの良く分かる、本当に天使のような子でした」
たまらなくうざかったが、英語のプリントの内容がいかにも簡単そうなところを見ると、こんな問題にも人の助けを必要とするレンの知能指数がお可哀想で、やむなく手伝ってやることにした。
「これで、おあいこだからな、レン。二度と、失恋の話すんな」
その時、一匹の喪服蝶が、開いている窓から入ってきておれの耳朶にとまると何かごにょごにょと囁いた。
(花の、蜜より、おいしくいただきました)。
さっきの蝶だろうか。淫らな行為に耽っていた蝶だろうか。しかし蝶はどれも似ていて判らない。蝶から見れば、人間もそんな感じなのかな。どれも似ていて、どれも淫らで、判らない?
「……蜜よりおいしい、だって?」
「どうした、エコー。何か云ったか。……あ、こんなところに蝶々発見」
どいつも、こいつも。
「いくら頭悪いからって蝶々食うなよ?」
蝶々も、人も。
「や、おれは最初からお前の耳狙いですって」
おれも、お前も。お前も、おれも。
刺激ばかりに敏感だ。欲望にばかり忠実だ。

060903
三重光太(ミエコータ)、なのでエコー。