今日、ぼくの家の前にコガ レンくんという、かっこよくて性格もよくて、とにかくかっこいい男の子が引っ越してきました。レンくんのすきなものは音楽とからかいがいのあるやつです。レンくんには妹がいます。カエデです。レンくんとは母親が違います。そういうことを疣というそうです。カエデの母親はお金持ちの家のひとです。レンくんの父はそのひとがすきでレンくんのおふくろと離婚して婿用紙になりました。レンくんが引っ越してきた家は三階建てでとても高いのでお向かいの家のニッショウケンを奪いました。その家には母趾家庭がすんでおり、息子のほうはレンくんと同じ年ですぐに仲良くなりました。名前はミエ コウタくんです。レンくんはエコーと呼ぶことにしました。誰も呼んでいない呼び方を自分がつけてそれで呼びたくなるような顔をしていたからです、エコーくんは。そんでおれはエコーをものにしてやろうと思いました。おれはひらすらモーションをかけたのですがエコーは鈍い上にしぶといのでどうしてなかなか日々じらされています。おれが一番さいしょにエコーをすきだと感じたのは、おれがあの家に慣なくて浮いていたときのことです。エコーは貧乏だからおれの家の中を見せてやるよっていったら誘拐できそうだったのであらかじめ誘っておいたのですが、ある日おれが新・母さんと喧嘩してすっごく気まずかったときにエコーがベリーグッドなタイミングでチャイムをプッシュてあそびにきたよっていってくれて、ほんとにおれはいずれこの子とけっこんしようと思ったんだが、先生、いけませんか。



い け な い よ



「レン。云おう云おうと思っていたんだけど、お前、生まれつきだろ」
便箋数枚にわたって書きつづられた恋文を手の中で丸め、のぞき込んでくる顔に向かって投げ付ける。おれの反応を楽しそうに見ていたレンは平気で「何が」などと抜かす。しかも、真顔。そこらのあほとは格が違う。
「何がって、そのあほ具合」
「莫迦云え。あほにこんな立派な恋文が書けると思ってか。たどたどしい中にも筋の通った主張が組み込まれており、最後に切り出すプロポーズの単刀直入さは前代未聞、他の追随を許さない。とても小学校低学年が作文の時間に書いたとは思えない技巧が随所に散りばめられている」
「ああ、確かに立派な駄文だな。無意識的な視点のすりかわり、無意味な倒置法、羅列された文字の中に巧みに紛れる誤字脱字、こんだけの荒技を一度にきめてしまえるお前って本当におれの幼なじみか?と、一度本気出して検証してみたくなる」
何度離しても机の端同士をくっつけてくるレンの悪戯にレスポンスを返すのも億劫で、おれはせめて消しゴムのカスをそちら側へ押しやるよう心がけている。何と健気な。
左に頬杖をついた男は不幸にも右隣の席になったおれの方を、ちらちらどころかほぼ凝視しながら授業を放棄している。バンビが同じクラスでなかったら報われないにも程があるところだった。教壇に立った高齢教師は視力的にも最前列しか眼中にないらしく、国民の権利である教育を受ける権利を妨害されているおれを救済しようなどという考えに達するべくもない。一方、周囲の反応も同様に絶望的だ。女子は女子でレンの声ならノイズにならないと洗脳されている連中だし、男子は男子でレンの怠慢姿勢には慣れきってしまっている。まったく、お可哀想だ。誰がっておれが。
春休み明けの始業式、中学校生活最後のクラス分け表に目を通したおれは愕然とした。これまでは天の恵みにより何とか避けてきた「あの幼なじみと同級生」という事態が、受験年であるこの三年目において遂に我が身にふりかかってきたのだ。
「だいたい、こんな稚拙なものどこに保管してたんだよ。案外、現時点の文章力と大差なかったりするけど」
新しいページに下敷きをセットしつつ、横目でレンを見やる。
片耳にだけいつものイヤフォン(本人曰わく耳栓代わり)を突っ込んだまま例の幼なじみは「俺の部屋のエコー関連アルバム集その12」と笑った。
「へえ。わざわざそんなとこから。12から。へえ。一冊あたり最高5ページのアルバムと見た」
「ノン、50。めくってたらたまたま出てきたんだ。他にもあるんだぜ、ぼくたち迷子になっちゃったんだ作戦でどれくらい遠くまで無料乗りできるか式日帰り旅行〜あるいは長くて一泊二日〜の帰りで居眠りしちゃったエコー集とか。こ、れがかわいんだな、また。一週間三食抜いても健康でいられそうな威力」
「へえ。男に二言は無いな、」
板書されている文字をきっちり書き写していきながら、その内容がほとんど教科書と同じであることを知っている。だけどおれは、他に、レンの言葉に集中しすぎずにいられる方法を知らない。
「なあ、レン。早いとこ釘刺しておくけど」
「釘、いや。別のもの刺して。あ、違うな。刺させて」
死ねよ。
「ええと、この動詞にはtoが付かないから、誤っている箇所はb、と」
「エコー、きいてる?」
「お前の声以外を」
「って、きこえてんじゃん。ほんとエコーはシャイな意識しいなんだから」
左脚で机を押しやろうとすると、右脚が絡んでくる。予想していなかったわけじゃない。予想していたのかも知れない。高さの違う膝。近ごろまた体が成長したように見えるレンと自分との差異をいちいち実感したくはない。おれは自分の机を右にずらすことで接触を拒んだ。追いかけてくるだろ、と予想したものの今回はそうでもない。あれ?
レンの横顔。
そう云えば、こいつの横顔ってたまにしか見ない。おれはきっと、横顔ばっか見せていたんだろうけれど。
白:青を7:3くらいにするとつくれる水色を背景に、レンの色素の薄い髪が透き通ってきらきらしている。ここからは見えない太陽の光を透かして。傷付いたような、考え事にとらわれているような目を斜め下に落として、ふ、っと一瞬おれの知らない誰かになって、だけどそれは一秒にも満たない瞬きの間に起こりうる眼差しで、でもおれはそれを見てしまって、気がかりだ。
「なあ、エコー」
「う、うん」
「エコーさ、今さ、俺のことさ、わあかっこいいなあ、って、思ってんだろ」
舞台閉幕。
あるいは、開幕。
「は、何で。お前ってすごいな。ほんとすごいな。その虚言癖すごいな。見るに見かねて腕の良い医者紹介してやりたいくらいだ」
「お気遣いなく。こちらこそ知り合いの名医を紹介させて頂きたいな。強く思ったくせに、思ってないっていう、その舌を治療しないと。目には目を。歯には歯を。舌には舌を。だよな。今日から俺の舌がお前専属のブラックジャックだ」
「何でそうなるんだよ」
「何でかって。それはね。……呼吸を止めて一秒あなた真剣な目をしたから、」
「貴様の為を思って云う。それ以上は歌うな。今からでも遅くないから手当たり次第国民に謝れ。四方八方へ頭を下げろ」
「すれ違いや回り道をあと何回過ぎたら二人は触れ合うの、」
すっかり春めいてきた今日このごろだと云うのに、ある種の寒気により全身に鳥肌が立つ。救済を求め素早く周囲に視線を走らせるが手頃な人材が見あたらない。国の人材不足はこの学級において端的に表現されている。頼みの綱である学級委員長バンビを振り返ると「いっそ羨ましい」、って、さすがにそれは嘘だろ。
「バンビ。お願いだから今すぐ席替えを頼む。人命がかかっている」
「ごめん、エコー。助けてやりたいのは山々なんだけど学級委員は一人の意見に動かされてはならないんだ」、って、くすくすしながら云うな、この裏切り者が。
「おねがい、タッチ、タッチ」、バンビに向かってなおも食い下がるおれの手をふいにレンが取り上げるので、授業中だということを忘れて今にも悲鳴を上げそうになる。いざという時のために備えて椅子から腰を浮かせる。
「ここにタッチ、あなたから」
って、どこにタッチさせてんだよっ。
母さん、ぼくは、きょう、学校で痴漢にあいました。痴漢の正体は、母さんもよく知っている人物です。レで始まりンで終わる名前の男です。一方、苗字の方は、コで始まりガで終わる例のあいつです。
隠しきれない殺意。
今日もまた保健室のベッドが無駄な物質により一台確実に埋まってしまう。正直、加減が分からない。
やるのかやらないのか。シェイクスピアを拝借すれば、おれにはそれが問題だ。

kill or not kill him, that is the question.


レンの気持ちを真剣に分かってやろうとしたことないの。
あの後、授業は一時中断となった。おれが今までレンのいる学校生活を難なくやり過ごしてこれたのは奇跡だったのだと気づかされる。
保健室からの帰り、バンビに云われた台詞が何度も頭の中を旋回する。
あいつの気持ちを真剣に分かってやろうとしたことないの。
「分かってやろうとしたことないの」?
分かってる。
分かってる、そんなものは、とっくの昔から分かってるんだ。
真剣に、って何だ。
真剣に分かってやって、それでどうしたら良いんだ。
ていうか、バンビこそおれの状況を真剣に理解しようと思ったことないの。かよっ。
「あいつもバンビも、無責任だ……」
呟きながら、校庭に面した花壇の横のベンチに腰を下ろし、放課後の部活動生達を遠く見やる。その中にバンビの姿もある。サッカー部主将。三年連続学級委員。容姿、性格、共にほぼ万人受けするであろう爽やか好青年。バンビのような好青年からのアドバイスほどあてにならないものはない。
おれは本日数十回目くらいの溜め息を吐いた。
吐く息もなくなりそ。
「お、エコー?」
ふと顔を上げると顎の辺りを赤く腫らしたレンが立っていた。種類は違えどバンビに劣らず万人受けする容姿と性格だ、なんて認めたくはないけれど客観的に見て実際そうならおれが認めようが認めまいが事実として認定する他ないだろ。
「エコー。今、帰り?」
「お、お前を待ってたんだ、よ。その、悪かったな、や、悪いのは明らかにお前だけど、アッパーしてしまったことに対して、軽く謝っておくっ」
だから。
おれは何故どもる。
たかがレン相手に。
「え、何。謝罪の言葉が聞こえない」
「ご、ごめん……ください」
「ごめんなさい、だろ。はい、もう一回」
「云って三秒以内に失せてくれるなら」
「は。加害者さんよ。せいぜい俺のタフな体に感謝しとけよ。エコーを殺人犯にするのを防いだ。英雄と慕われても過分ない。恋人として扱われても過分ない。今こそ友人の枠を飛び越えよう」
「善き友、ああ、友よどうもありがとう、永遠の友よ」
「棒読みって最高」
「さ、帰る」
「一緒に」
「できれば別々で」
「できないから一緒に」
そうして今日も歩き出す。いつもより歩幅が狭いのは、足を出すペースの変化を悟られずに、時間を稼ぐためだ。
二つ目の信号は赤。
信号なんて必要ないくらい短い横断歩道だけど、おれたちはちゃんと立ち止まる。横に並んだレンの顔の位置、やっぱり高くなった。
人間って何歳まで成長するんだっけ。
「なあ、レン」
「うん」
「お前、今日、何か考えてたな」
「ああ、タッチの時な。年頃の健全な男だからな」
「ば、違、その前だよ。妙に沈んだ目してさ……気になる」
一台の自転車が信号を無視して行く。
だけどおれもレンも歩き出さない。
何度もこの上を歩いた横断歩道を、見守ってくれた母なる横断歩道を、ある日突然裏切ってルール違反の現場にできない。
何本目の白線が消えていて、何足で渡りきることができるか。ふたりの身長がそれぞれ今よりもっと低かった頃、そんなことだけで楽しかった。レンの背中で空っぽのランドセルが音を立てて、おれの背中では教科書のみっちり詰まったランドセルがずっしり重たかった。

教科書なんか机に置いてくればいいじゃん。エコーってほんと、要領が悪いんだから。

あの時のレンが冗談交じりにそんな言葉を遣ったのは、きっと云われ慣れていたから。「要領」?無理な単語だろ、現時点のレンにだって。
人は見た目じゃないって分かってる、けど中身がすべてでもないだろ。レンの母親に対する第一印象、「綺麗だけど厳しそうな女性」。だった。
新しくやって来た母親と妹。住み慣れた家を出て、新築の家で見ず知らずの他人との生活。他人と一緒にいる時って、家族さえ他人に思えてくるから不思議だな。レンもそう感じていたかな。
あの日おれは初めてレンの家のチャイムを鳴らして、その白い部屋に足を踏み入れたんだ。レンの部屋は三階にあった。三階には他に部屋がなく、レンは眺めの良いその広い空間を自分の自由に使えた。だけどレンの部屋にはあまり物がなかった。必要最低限の家具は揃っていたけど、何て云えば良いか、そう、「あ、これはレンの大事な物なんだな」って感じられる物がなかった。
ちびレンは云った。
「なあ、この窓からエコーんちの庭見えるんだ。汚い犬の汚い小屋も」
「汚いって云うな」
「じゃあ、清潔じゃない犬の清潔じゃない小屋」
「それもなしだろ」
「とにかく見てみる?」
うん、と頷いて、 レンに後ろから抱えてもらって、窓から顔を出してみた。そこには確かにレンの云う通り、決してきれいとは云えない屋根の犬小屋が見えた。あくまで屋根がそうなのであって室内はきちんと毎日掃除してやっているし、カカオの毛色は生まれつきだ。レンのあほと一緒で。
生まれつきなんだよ、ばーか。
「レンさ、いっつもこんなとっから外みてんの」
あの時おれは自分専用のバルコニーのある部屋っていうのだけで驚きだったから、どうしてレンがわざわざバルコニーと反対側の狭い窓なんかを覗くのか理解できなかった。それも、椅子を持ち出さなきゃ見えないような高さ。飾りとしてだけの。北側の。
「だって、ころしちゃったんだ」
両腕で抱えていたおれを静かに床に立たせ、レンはぽつりと云った。
「殺しちゃったんだ、前の家で飼ってた鳥。空に近い方が良いかと思って、バルコニーの外側に鳥かごごとくくりつけておいたんだ。そしたら、結び目ほどけて落ちちゃった」
「ふうん。だからバルコニーすきじゃないんだ。ものが落ちるから」
「それに、この辺、うちより高い家ないから同じ高さの部屋を覗き見とかできないし、割とひまだからエコーんちの庭らへん見てる。いっつも。時々エコーが出てくるとすごくうれしい。神さまになった気分。レン様が下界の人間どものいとなみを見下ろしているんだ。ははっ」
それを聞いたとき、おれは幼心にも、目の前の少年の将来が心底不安になったものだった。
「なあ、あのさ、そういえばエコー、庭のはじっこでいっつも何かやってんじゃん。あれ、何やってんの」
「ああ、畑を作ろうと思ってね。トマトだったら初心者にもかんたんらしいから」
おれの発言にレンは心底驚いた顔をして云った。
「えっ、まじで。畑って誰でもつくれんの」
「ちいさいやつだけどね。あ、そうだ。レンもうち来る?」
第一農民にしてやるから。
という意味だったんだけど、レンはもっとも憧れていた場所に招待された灰かぶりの娘っこみたいな、きらきらっとした笑顔で頷いたんだった。

ああ、どうしてこんな他愛もないこと今思い出すんだろって。
そうか。あの時の目に似ていた。
「ころしちゃったんだ」。
そう云った時の、あの子どものさみしい目。さみしい、さみしい、さみしい目だ。

信号が青に変わる。
ゆっくり歩き出すとレンがさらに少し遅れて付いてくる。まったくこいつはどうしていつもこう人の半歩後ろを歩くのが好きかな。わざと歩みを止めるとレンも立ち止まる。スタートするとレンもスタートする。そんな意味のないことを繰り返し、本日数百回目かも知れない溜め息を漏らし、くだらないことに時間と体力を費やすのは愚の骨頂なのでやめにする。
「なあ、レン。お前さ、前に鳥飼ってたって云ったよな」
「何をいきなり」
「名前、何て云うの」
「教えたら何くれんの」
「不幸の手紙とか」
「とか」
「侮蔑の眼差し」
「とか?」
「とかは付けてない」
「補足してやったの」
「はあ、日が暮れる」
「お、上手いね」
「掛けたわけじゃないっ」
微妙に恥ずかしいじゃないか。
「はいはい。で、何が知りたいんでしたっけ」
「鳥だ、鳥。貴様に飼われてた哀れな鳥さんの名前だよ」
口では微妙な匙加減しつつ、目では細かな反応も見逃さないって待機する。こんな器用さは要らないのに。
だけどレンの表情にはそんなに苦悩の色はなくって、乗り越えたんだな、ってほっとする。あんな目はレンらしくない。でもそれは、おれが今のレンしか知らないということなんだろう。これからのレンしか知り得ない、ということ。
「こだま」
「こだま?それが名前?それはまた……妙な親近感を覚える名前だな」
それを聞いたレンがにやりと笑う。
「ま、どっちか選べって云われたら、今の俺はエコーの方を選ぶと云える」
「それ以前に誰も選択を迫らないだろうな。それほど暇じゃないと思うんだよな、人間って」
「そうかな」
「そうだろ」
いつしか空は赤く焼けている。手が届けば温度も分かるはずなのに。いつも見ているのに遠い。ちゃんと見ているのにそこにはない。空っていうものは、ないんだ、って。小学生の頃、理科の先生に確か聞いたんだっけな。空というものはありません。って。

豪邸。
って呼んでも特に差し支えないだろう。
左へ行けば白亜の豪邸。
あばら屋。
って呼んでも大差ないだろう。
右へ行けば母子家庭のあばら屋。から飛び出してきた雑種犬カカオがレンの姿を見つけて嬉しそうに飛び跳ねては吠えている。また苦情が来るから黙れ。
はあ、カカオ。そうだな、これが古賀蓮の特徴だな。子どもと動物と女には大概好かれるんだ。
「はい、エコー。別れ際に、はい」
「何だ。その物欲しそうな顔は」
「別れのキス」
「転校しろ」
「じゃ、別れのタッチ」
「ますますおかしい。じゃあな」
手が届けば温度も分かるはずなのに。
いつも見ているのに遠い。
その名前は空。
空というものは、ありません。
そんなものは、存在しません。
だからそこへは行けません。
「……だからか」
だから、ただ、見上げているだけなのか。
「あ、エコー」
「まだ嫌がらせし足りないのか」
あなたのそれと違ってこれは結構重いんですが、という意味を込めて鞄を抱え直す。レンに伝わるはずもない些細な皮肉。だけど鈍いのは自分の方かも知れない。皮肉だって気づいたレンは、それにレスポンスしてくれているかも知れないのに。気づけないまま、おれを素通りした投球が、背側の草むらに紛れて。もう見つけ出すことはないんだ。
そう思うから受け止めたい。
レンから自分へ向けて放たれたもの 全部余さず 受け止めたいと思うと減らず口になる。
バンビには漫才だと笑われる。母親にまでまるで熟年夫婦だとからかわれる。
だけどそんな日々を楽しんでいたのも確かなのかも知れない。
いつもと違うレンを見せつけられて、今日のおれはやっぱり変だ。
「何だ、レン。用があるならさっさと云ってくれないか。今、とてつもなく咽が渇いてる。今まで感じたことのないノドの渇きだ。早々に潤さないと大変な事件に繋がるかも知れない。早く帰宅せねば」
「ノドと幼なじみとどっち優先」
「ノドだろ」
「俺だろ」
「取り消せ」
「まあ、良いとして。じゃ、またな」
「何だ。それ云いたかっただけか」
「つれないな」
「魚じゃない」
手が届けば温度も分かるはずなのに。
離れていくよ。
正体の分からない何かが。
大事件の一つも起こらない日常の繰り返しの中で、でも確実に何かが変わっていっている。正常な時計はみな動く。止まっていてくれる時間なんて、どこにも、誰にも与えられていないんだ。
「ああ、もう、レン!」
今度は自分から呼び止めて振り返る、振り返らせる。
「はい?」
「ああもう、じれったい。云えよ。本当は何云いたかったんだって訊いてやってるんだ」
振り返ったレンが、耳の横で手をひらひらさせる。
「俺、高校、県外に行くかも知れないんだ。まあ、そんだけなんだけど。教えておいてやろうと思って。志望理由?うーん。ま、敷かれたレールなら走っておいた方がお得じゃん。楽じゃん。そういうのも有りだって思うじゃん。強いて挙げれば今のが志望理由。以上。アディオス」
手が届けば温度も分かる。
だけど、そもそも手が届かないならおれは一体何をしたら良いんだろう。
ありもしない空へ行きたくて仕方がない時、おれは一体、おれ自身という籠からどうやって自由になったら良いんだろう。
おれさえこだまのように落ちたら、レンはまたあのさみしい目を見つめ返してくれる人を探すのか……否、 やめてくれ。そんな不幸はおれだけで結構、あんなつまらない目、おれだけに向けておけば良い。
鍵はどこだ。
いや、鍵ならここにあるんだけど、おれ自身の中に。
ないなら作ったって良いんだけど、鍵くらいは、いくらでも。

要は。

素直になるのかならないか。シェイクスピアを拝借すれば、おれにはそれが問題だ。

be honest or not to be honest, that is a my question.


13:27 2007/05/08