モモ十四歳です。
の台詞と共に、いくら現代の若者の発育が良いからといってこの場合の身体発育的にはどう見たって十四歳ではない女優が、両腕でその胸の豊満さを強調するような姿勢を取りながら、ぐぐっと目前に、正確にはカメラのレンズに迫る。その迫力に対してか露骨さに対してかおれは思わず後ずさった。『モモ十四歳です。好きな食べ物は苺牛乳。嫌いな食べ物は、えっと、』。おれはべつにあんたの飼育員じゃない。何が好きだとか何が嫌いだとか、そんな情報は必要ない。だいたい苺牛乳ってのは食べ物と云えるのか。厳密には飲み物じゃないか。それとも飲み物というカテゴリ自体が食べ物というカテゴリに内包されたものなのかどうなのか。「くっそ」、こんなことに費やすくらいだったらお金も時間も読書に費やしたのに、と思いながら視聴リタイアを決意、早くも退室しようとするも左腕に引きとめる手の指が食い込んでくる。「まあまあ、健全な男児なら頑張ろうぜ」。
舞台は学校。
夕暮れ時の教室で、似非十四歳がたそがれている。白いシャツの首元にはやたらてろんてろんとした素材のピンクのリボンが揺れている。腰まであるストレートの黒髪を二つに編んでやや野暮ったく感じられるほど太縁の眼鏡。伊達に決まってる。
「エコーさあ。こういう子すきだろ。控え目で清楚で、なんつうの。こう、雨の日のさんぽってのも悪くないですよね、にこっ、みたいな?」
人様の肩の上でにやにやしながら、天職は変質者の幼馴染がおれの表情にいちいちチェックを入れてくる。腹部に肘鉄をくらわせると案外あっさりばてた。
「騙したな、レン」、腹を押さえて唸っている、将来は有望な変質者さんの幼馴染を肩越しに振り返る。
だいたいこれのどこが控え目で清楚なんだ。日本語なめんな。
「騙したって何が」
「おれはキューブリックが観たかったんだ。家にあるっていうからわざわざ来てやったんだぞ」
「だって。モモちゃんってなんかエコーに似てるんだもん。眼鏡とか黒髪とか眼鏡とか黒髪とか。欲望に忠実なことがそんなにいけないか?お前は自分が自分に正直に生きられないからと云って自分に正直に生きている人間にあたるようなそんな卑屈な男にいつからなってしまったんだよ。だいたいおれがこうして自分の秘めたる楽しみを惜しげもなく公開してやっていることに何の感謝も感じないなんてまったく人間どうかしてる。悪魔に売った魂はもう買い戻せないんだっ」
感謝しているのはこの部屋には健全な中学生男児に致命傷を負わせる狂気にふさわしい何物も置いていなかったことだ。



い け な い よ



最悪だ。
これまでの人生史上最悪の気分を引きずりながら登校したおれは隣の席がいまだ空席になっていることに安堵の息をつきながら、それでも重さが変わらない足を引きずりつつ自分の席に着席した。
あの男もついにあそこまで病状が悪化したか。しかもその病に自分がちょっとどころか大いにかかわっているということを目の当たりにしたら気分だって人生史上最悪にもなる。
朝連から帰って来たバンビにおれはさっそく一部始終を打ち明ける。一人で抱え込むには荷が重すぎた。
「かくかくしかじか。と、いうわけなんだ」
最悪だろ、という意味を込めてしめくくったのだがさすがバンビ、慣れているというか他人事だと思ってんのか「レンなりの冗談だろ」と至極妥当な解答をさらっという。そうなのだ。確かにそうなのだ。これまでの歴史を振り返ってみてもこれくらいのことで本気で腹を立てるおれもおれだ。似たようなことはいくつもあったじゃないか。めずらしく女子からのラブレターの返事を書いているから何事かと思えば「エコーに似てるんだもん。本番へ向けての予行演習さ。あっはっは」だとか、いつになく辞書に真剣な視線を落としているから興味をひかれて覗いてみれば「息子さんを俺にください、って英語で何て云うのかなあと思って一応」だとか。一応ってなんだ一応って。おれの両親は純日本人だ。国産だ。三代さかのぼっても国産以外の血はまじってねえよ。
「だいたいさあ。エコーもエコーだよ。いちいち反応するからおもしろがられてるんだよ」
毎年の文化祭で行われる「輝ける爽やか好青年」グランプリの地位を二年連続で制覇したこの学級委員でありサッカー部の主将はこれまたさらっと正しげなことを云う。
「じゃ、バンビはおれにやられっぱなしでいろと云うのか。死んでもごめんだ」
生きててもごめんだ。
「いや、そういうんじゃなくて。なんていうかな。レンは犬なんだと思え」
「相談しておいてなんだが、バンビ、云わせてもらう。先の発言を取り消せ。犬に失礼だと思わないのか」
「まあまあ。だから、要は構ってもらいんだよ。ほら、レンの親って再婚してるだろ。短絡的かとは思うけど、レンにとっては家がご近所で小中と同じ学校に通って来たエコーのほうがよっぽど近しい存在なんだよ。それこそ兄弟とか家族」
「神の存在を疑っても良いか?」
とは云うものの。
一理ある。
とは、思う。
レンってああ見えて本当にさびしがりだからな。
構って欲しいんだろう。
「だろ?だから、レンにつきまとわれるのが嫌なら、構わないで無視するのが一番なんだよ」
「無視か」
今まで取ってこなかった態度だ。心がけたことはあるものの、結局いつもあいつのペースに流されてしまって気づいたら応酬の無限地獄にはまっている。はたで見ていたバンビは「正月に田舎で行われるじいちゃんとばあちゃんの餅つき見てるみてえっ!すっげえ!」と両の澄み切った瞳に感動の輝きさえ浮かべていたこともあるができることなら役を譲ってやりたいくらいだ。それができないことを知っているから、どいつもこいつも。
って、心中とはいえバンビにまであたるなんて、これは本当に迷惑な話だ。何もかもあの男のせいだ。住人不在時に敷地内に忍び込んで人ん家の庭の畑に自分のコーナー作るあの男、カカオに懐かれて母親にもそこそこ気に入られて人の本棚物色してひやかして帰っていく、害を及ぼしこそすれ利益をもたらすでもないあの男のせいだ。
「なるほど、無視ね。今回は徹底的に試す必要があるな」
教室に人が増えてきた。練習用ユニフォームから制服に着替えたバンビは、次々とやってくる同級生に挨拶しながら「ま、がんばれよ」とだけ云い残して去って行った。
ああ、がんばるさ。
いつになく前向きなおれだった。

しかしその日なかなかレンは教室に姿を見せなかった。
一時間目からいることはほとんどないが、ついに午前の授業が全て終わってからも登校してこないレンをおれがいよいよ不審に思っているところへ、昼食を持ってバンビがやって来た。
「うわ、淋しそうなカオしてんなあ」
「だ、れがっ」
反射的に否定するも気がかりなのは確かだ。確かだけれど、それを「淋しそう」などと云われて否定せずにいられるほどおれは自分を見誤っちゃいないつもりだ。
「しっかしレンが午前まるっと休みなんてめずらしいなあ。めずらしいし、やっぱ淋しいよ。それに、そんな感じになってるのはおれやエコーだけじゃないみたいだし?」、そう云ってバンビは廊下を指し示した。
ああ、いわゆる“常連さん”だ。
家から弁当を持って来なくてもレンが毎日昼食をとれる理由はここにある。学年でも目立つきれい系の女子が窓際の同級生に「古賀は?」などと訊いている。って。きれい系、なんて言葉をいつ覚えたんだおれは。
ふん、あいつは昨日おさななじみ似のAV女優を贔屓していることを当のおさななじみに暴露したあかつきに食らった肘鉄が致命傷となって後遺症が完治せずみっともなく欠席ということになってるんだ。
と教えてやりたいが自分がダメージを食らいそうな事実でもあるので教えない。
ていうか、ああいうのとはおれ、会話しないし。
「新しいファンもいるみたいだな」
新入生の間でも、古賀蓮はすでに有名らしい。上級生の女子に遠慮しながらも教室の中にあいつの姿を探している見慣れない顔がいくつかある。あいつを探していると分かるのは、つい先日親しげに話しているところを目撃したからだ。気を持たせるような真似はやめとけ、ともう何度も注意するけど人類みな兄弟と思っているレンには真意など伝わるはずもなかった。
「見かけ倒しの男にせいぜい夢見てりゃ良いさ」
投げやりになったおれをバンビは本気で心配し始めたようだ。
「そんなに気になるんだったら、メールしてみようか」
心配の方向、理想的じゃないけどな。間違ってるけどな。
「えーと。レンのアドレスは……っと」
ちょうどその時バンビの手の中の携帯に着信があった。表示を見て「お、噂すれば」などと云うからには古賀蓮からだろう。
「もしもし?レン?おまえの無断欠席をエコーが心配してるぜ」
「バンビ頼むからいらんこと云うな」
「え、だって本当のことだろ?」
雪辱という言葉の意味を正確に知った中学三年生のおれは俯いて弁当の卵焼きを頬張った。
俯きながらも、耳は澄ます。
「え?そうなんだ?」
な、何が「そうなんだ」なんだ。
しばらくの沈黙の後でバンビが慰めるように「そっか。まだ若いんだし、あんまり、無理するなよ」と優しい声で云う。咀嚼を忘れてひたすら口にものを詰め込んでいたおれはついにむせた。
「うっわ、エコーきったね。携帯に付けるなよ。はい、電話交替。いとしの幼馴染氏ですよ」
云い返したいことは山ほどあったが気道確保に真剣になっていたおれはバンビに結局何も云い返せなかった。

「…………もしもし?」
お、その声もしかしてエコー。
「そうだけど。何か用」
用なら腐るほどあるけど。どれからいっとく?
「いや、遠慮しとく。……それよりお前、どうしたんだ。遅刻はあっても午前すべて欠席って珍しいな」
やっと心配してくれた。
「ふざけんなよ。特別教室の掃除が大変だなあと思っただけだよ。ま、いたところでおまえはろくに掃除なんかしないか。教室の掃除よりもお前の場合まず煩悩だらけの脳内を掃除したほうがよさげだもんな」
それはエコーの協力により解消される煩悩ばかりですけど。ここでいっちょ人助けってやつをやってみないか。
「お前の葬式の日程決めて良いか」
ふたりの結婚式の間違いじゃなくて?
「相変わらず天性の変質者だな。それより、学校、来いよな」

 あれ。
 おれ、こんなこと云うつもりなかったのに。
 顔を上げるとバンビはわざと素知らぬふうを装っている。
 結局こうなるんだおまえたちは、って。いうような、横顔。
 そうだ。
 やめられるもんならとっくにやめてた。
 無視できるんならとっくにしてる。
 そうしなかったのは、できなかったからじゃなくて、したくなかったから。
 しなかったから。

 ふ、っと全身の力が抜けていく。
 気づいていたのに。
 自覚しようとしなかったこと。

 (あ、おれ、レンが好きだ)。

「な、午後からでも良いからさ。一時間だけでも良いから、調子良くなったら来いよ。おれも悪かったよ。まさか欠席しかねないほど当たりどころ良か……いや、悪かったなんて。手加減忘れてた」
道理で昨夜は安眠できたわけだ。
悪夢にうなされることもなく。
「エコー…………。わかった。午後から行くよ。俺、市役所に寄ってから行くけどいい?」
「何で市役所」
「え、なんでってそりゃ婚姻届を取っ、」

ピッ。

強制終了。
ん、と携帯電話を返すとバンビは何も訊いてこなかった。優しいやつだ。こういうところが、もてるんだろうな。おれは自分の気持ちを自覚しながら、バンビの彼女を羨ましく思った。もしおれが女だったらバンビのほうが絶対良いんだって直感でちゃんと分かってるんだろうなあって。
だけど、何か喋らないと気まずいので切り出す。
「バンビは何話してたんだ」
「え?そ、それは」、なぜか云いづらそうだ。
云いづらそうにされるとかえって聞きたくなるというのが人の性だ。
数分続いた攻防戦の末、おれはついにバンビからさきほどの通話内容を聞き出すことに成功した。
「だから。レンさあ、モモちゃんシリーズ徹夜で観ててさ、すっごい寝不足らしいんだよ」
は?
何ですと。
「えーと、それで?頭痛がひどいってんで、無理すんな、って云ったの。でも、何。エコーが来いって云ったら来るって云ったわけ。それはすごいな。やっぱ幼馴染同士のおまえらの友情にはかなわないよなあ!」
おれは爽やかに微笑むバンビを天然記念物を保護するような気持で見つめた。
半分ほど残った弁当箱に目線を落とす。
もったいないが食欲が失せた。
これは帰ってから食べよう。
カタン、と蓋を閉じながらおれは静かに机に突っ伏した。
苛立ったわけじゃない。確認のためだ。おれの心臓はどきどきしていて、鼓膜でうけとめた幼馴染の声はなかなか薄れてくんなくて、バンビの何気ない言葉にも心臓が、三個百円のスポンジのように安っぽく収縮、要は動揺したんだ。どうして気付かなかったんだろう。もしかしておれってすっごく鈍いの。そうか、好きだったんだ。ずっと、嫌いの反対だったんだ。
「あー。どうしよう。妙な事実を自覚してしまった」
やっぱ幼馴染って羨ましいわあ、と、罪の自覚もなく繰り返すバンビの声をはるか遠くに聞きながらおれは、自分を狂わせるものの正体を見た。窓の向こうに桜色の花弁があたたかな風に舞っていた。
そうだ、これだ。
春だからだ。
これはきっと歪んだ発情期なんだ。
仕方がなくって、おれとは関係のない現象なんだ。

と。

そんないいわけじゃまだ、ぶざまだろうか。
こんな学校生活もあと一年。
なわけでして。
これじゃいけない、って。
それくらい、分かってるよ。
いけないよ。ああ、いけないね。

080405