午睡の最中、遠い島へ行ってきた。
その島は宇宙空間にぼんやり浮かんでいて、ターミナルの待合室には故郷を思い出せない迷子ばかりが居残っていた。


檸 檬 の 舌


ターミナルで順番を待つ間、僕は、たまたまそこにいた駄菓子屋に声を掛けた。
「生とは死を感じるために与えられた束の間の余暇だね」
彼は綿菓子を膨らませながら僕の方をちらりと見た。
片方の瞳が欠けている。
つい見とれて列車をやり過ごす。
「あんた死にたいの」
「そうかも知れないし、若さが憎いだけかも」
試作品だけど、と手渡された綿菓子に舌を近づけると檸檬の味がした。
「仕方がないよ。若くあることからは誰しも逃れられない。それは生まれ持っての呪いなんだから。その意味では、人は死ぬまで若い」
「そう?」
次の列車がターミナルに入ってくる。人々が乗り降りする。僕の隣でもうずいぶんと長いこと俯いていた迷子がぱっと顔を上げ、軽快な足取りで列車に乗り込んで行った。もうあの子は迷子ではない。故郷を見つけたのだ。
一方僕はまたもやり過ごす。舌を檸檬の果肉色に染めながら。
「あんたが長居するような場所じゃない」、駄菓子屋が忠言するが聞こえない。
彼の肩越しに光景を懐古した。

ラムネの瓶。
夏の夜。
誰かが向ける懐中電灯の光に目が眩んでいる。これはきみの視点。
少しずつ後ずさってその場から逃げ去ろうとする。これは僕の視点。
複数の笑い声。それは嘲笑。
人はある日突然、果てしなく残酷になるのだ。
助けて、と云われたら、迷わず戻った。
たった一言、ただそれだけだったのに。
夏の夜。
割れたラムネの瓶。
遊戯は時に、人をころすね。

僕は脇に小説を抱え直す。値打ちのない書きかけを。どうあがいても結末が見つからないんだ。それさえあればきっと楽になるのに。安眠するにも呼吸するにも、今よりきっと楽なのに。
「ないものを表現するには、言葉だけが必要だ。言葉が生まれて不在が生じた」
きみがそう云う。
僕はこれで良いのだと思った。
入ってきた列車に飛び乗って振り返る。あの日片目を失ったきみは、ここ宇宙ターミナルの駄菓子屋として相変わらず檸檬の綿菓子をつくっている。その姿に僕は挨拶を投げかける。
「さよなら」
「何それ」
「何、って、別れの挨拶だよ」
「くだらない」
「・・・きみって一度くらい泣くことがあるわけ」
その目が向けられている内に綿菓子は食べきってしまおう。
掌中で圧縮され繭のようになった綿菓子を直ちに口に放った。舌の上で孵化した幼虫が一瞬で蝶になる。そしてそれは、少し笑った駄菓子屋の肩に留まった。
「あんたがあの場からいなくなった時は泣いたよ、これでも」
「何それ」
今度は僕が繰り返す番だった。「何それ、どういう意味」。
「何、って、懺悔からの解放だよ。あんたはぼくなど忘れろ。ここはちゃんと楽しいから。あれは事故だよ。誰にも殺意などなかった。たまたまぼくが弱かった。ただそれだけの結果。・・・ええと、さよなら、だっけ?」
「そう。別れの挨拶。覚えておきなよ」
「くだらない」
「なら云うなよ」
「真似しただけだ。で、さよならの理由は」
「自分で考えろ、莫迦。じゃあな」
莫迦と云われた駄菓子屋が今度ははっきりと笑う。僕も似たような表情に違いない。ドアが閉まり列車が動き出す。勿体なくて窓から身を乗り出す。しかしもう既にターミナルは遠すぎる。
遠すぎる、という感覚は経験を重ねても慣れない。
そう、遠すぎる。
気づいた時には、いつも何かが遅すぎるのだ。

遥かで新星が誕生し、新たな銀屑がまた別の思いがけない道をつくる。 僕は窓際の座席に腰を下ろし、束の間の死に別れを告げる。舌打ちをしたら檸檬の味がした。 いつか遥かでまた僕が生まれる。そのさらに遥かでまたきみが生まれるかも知れないが、僕らが再び人間同士としてめぐり合う確率は限りなく無に近い。これが、さよならの理由だ。あの莫迦はちゃんと気づくだろうか。あの、いとおしい、僕の莫迦は。

060625