死 に た い 。



 浮世で綺麗と出会う。たとえば透明の硝子。硝子は普通透明だろ。って。そんな無粋は云わないでおいて欲しい。
「本当の透明を見たことがあるの?」
「じゃあお前はあんの」
「ないよ。見えない。でも触ったことならある」
 空が高くなった。秋になっていく。幼なじみの背が、気づけば自分よりずっと高くなっているみたいな自然さと不自然さで、今自分たちのいる街も世界もこうして秋になっていく。移行は気づかない内に行われていることが多い。何事にしてもそうだ。すべての繋ぎ目はそうだ。目の前で動いていくものなど何もない。秒針をじっと見ていたら、カチ、っと云う瞬間はそりゃあるだろうけど、それだって一日中眺めているわけにはいかない。一度だけ一日中眺めていようと試みたことがあったけど、三十分で放棄した。
 ショーウインドウに飾られた、誰も似合いそうのないコート。街を歩く人たちはみんな灰色を着ている。
「あ、アイスクリーム屋さん!」
 嘘だろ、と云われたけど本当のこと。
 こんな日に外でアイスクリームを売っているなんて、
「わかってるな」「わかってないな」
 ほとんど同時に云った。
 どうしてこんなふたりが一緒にいるのだろう?
 その顔をじっと見上げていると「分かったよ」と財布を取りだしてくれる。
 だから一緒にいるのだろう。
「曹達と檸檬」、販売員は無愛想に云った。
 じゃあ半分ずつのせて、と云ったら明らかに一瞬睨まれたが、結局その販売員は云った通りにしてくれる。
 あいつ無愛想だったな、と、アイスクリーム屋から遠ざかったところでシズが云う。
 ん、と差し出すと、食えよ、と云われた。要らない、と云わないところが彼の優しさだと思うのだけど、誰に云っても理解してもらえない。
「午後の授業はさぼろうか」
「もうさぼっているんじゃないの。これは」
 クリームというよりシャーベットのようだ。粗い氷の粒が喉元を転がっていくのが分かる。肋骨の間に差し掛かるころには体温になじんで、後は胃へ向かって落ちていくだけだ。
 寒い日に冷たいものを食べる時には自分が生きていることを確認できるからすき。
 そう云うとシズは「他にも確認の方法はあるんじゃないの」と云う。でも否定しない。それもすき。
 何も良いことは起こらない。お金は降ってこない。かわいい子猫も拾わない。だけどこういう時間がとても幸せで、空がただ青いってことでさえふたりには遠くて、死にたくなる。
 シャッターを切るのと同じ。光景を留めておきたいのと同じ。そこに意味の大小はない。
 ぼうっとしていると曹達側をごっそり舐め取られてしまったので唖然とした。顔を上げるとシズが「溶けそうだった」などという出任せを何食わぬ顔で云う。この気温で溶けるわけがない。返してよ、と云うと檸檬までごっそり持っていかれてしまう。シズの舌の形が窪みになって、この手の中に残った。
「返してよ。ばか。嘘吐き。要らないって云ったくせに」、シズを睨み上げながら云うと、「要らないとは云っていない」と返される。確かにそうだった。
「ずるい。死んでよ」
「殺せ」
「返して」
 返してったって遅すぎるよ、とシズは自分の青緑色になった舌の表面を見せて意地悪そうに笑った。
 するとぼくは自分の肌が青緑色になってしまったような気持ちになって、思わずそんな想像をしてしまって、云い逃れをするように俯いた。
 離れてゆく。いつかは離れてゆく。
 肌が冷えるのを感じながら、シズの唇を感じていながら、ぼくはやっぱり今死にたい。
 ここで終わりの命なら、そう悪くなかった、って云えるんじゃないだろうか。こじつけの意味なら要らない。ささやかな衝動に翻弄される生き様を晒したい。それを自由と呼びたい。これ以上前へも後へも移りたくない、今死にたい。誰もが触ることしかできない、そういった透明にぼくたちがなれるなら。この我が儘な舌に溶けてゆくだけの氷でも良い。シズに溶けたい。

060914