怖い。世界のここは、だけど、温かだね。


赤 い 宮


無限の毛布は幾重にもこの体に積み重なり、手繰り寄せようにもどうやら端はなく、視界の届く限りどこまでも大胆なドレープを象っているのであった。僕はノミのようにその上を這い、自分のサイズを確認できる何者かを得ようと闇雲に手を伸ばした。しかし頭上にも足元にも布の感触しかなく、この部屋がどのような形をしているのか、そもそもここが壁に仕切られた部屋と呼べる場所であるかどうかも確かめられないまま数時間が過ぎた。と云っても時計があるわけではないので僕は自分の感覚のみに頼って時間を弾き出したことになる。かと云って誤りがあったところでそれを訂正する他人もいなければ理由もない。

何時間掛かっても手がかりのまったく得られないことを憂えた僕がついに布を引き裂き始めた時、傍に見知らぬ少年が現れた。
僕は少年の持ちうる赤以外の色、僕自身の肌以外の色を尊く、また大変にいとおしく思った。手を引き、布の上に座らせた。
「目が覚めたらここだったんだ。君もかい」、僕は何から話し始めたら良いか分からず、真新しいもの何一つ見つけだせない瞳を天へ向けて閉ざした。広がる空を回遊魚の群が泳いでいたがその鱗もまた赤い。ふと手を見下ろすと蔓が絡まっていたがその茎もまた赤い。
ここに至って僕はようやく、赤いのは僕の目ではないかと疑うようになった。
目に映るすべてのものが赤い時、エデンの園から林檎を盗むほど知恵のある人間がどうして己の眼球の異常を疑わないままいられよう?
僕は取りだした眼球を一つ少年の掌にのせた。 しかし僕はここでまた新たなことに気づいた。 もしも僕の眼球に異常などなく、この世界のすべてが赤いというだけのことだったら?二つの眼球を取りだしてしまった後の世界を、僕はどのように見るつもりだろう。見ることができない状態で、僕は僕自身の眼球への嫌疑をいかにして晴らすことができるであろう。
方法はないのだ。
僕は残った眼球を上下左右に動かしながら、今はもういない片割れの埋まっていた穴の奥を指で撫でた。
「困ったな。すうすうして仕方ないや」
すると少年がどこからともなく花を取りだしてその穴に詰めた。もちろんその花弁は燃えるように赤かった。このようにして僕の顔には花が咲いた。

それからしばらくの間はおとなしく少年とただ向かい合っていたが、いよいよ気持ちが高ぶってきたので、ついにはその唇にキスした。途端、彼の唇は熟し切った果実のようにぼたぼたと落ちた。少年の掌で眼球が「しくじった、しくじった」と嬉しそうに、いとも朗らかに鳴いている。
「だってキスしたかったんだ」
「また誰かを愛せるとでも思ってか」
僕は眼球に反論することができなかった。 そもそも自分が誰かを愛したいと考えていた時期があったのかどうかを思い出せなかった。
「お前にその権利はない。お前はとっくに永遠の追放者なんだ」
赤い布が襲いかかってくる。
眼球は独立した神のように、僕の命を今にも奪い去るつもりでいるようだった。
諦念し目を瞑った時、僕の唇は再び果実の甘さに触れた。
「可哀想にね」、口を利いたのはあの少年だった。完熟しきったように潰れたと思っていたのに。
「可哀想?僕が?」
「ううん、僕たちが」
「何故」
「始まりを迎える瞬間は誰だってそう云うものさ」
「君は、喋れるんだね」
「僕は、君が発狂した時にようやく口を利けるようになるんだよ」
「僕発狂したの」
「そうだよ」
「君は呪われているの」
「僕たちは、そうだよ」
思えば僕たちは双子のようによく似ていた。しっかりと抱き合い、二人は赤く染まっていった。まだ見ぬ虫の背のように。まだ見ぬ夕方の空のように。ふたりを抱くママの血みたいに。(ママとは?)。この狭い道の先に、新世界を予感するように。

激しいうねりの後でドレープはぎゅうっと縮こまり、抱き合った僕たちをより一層密着させたままある一つの方角へ向けて押し出した。そこでは光と声と泣き声がする。泣いているのは僕たちだった。声を上げているのは見守る人々とママだった。(ママ!)。光は、そして光は、僕たちの感じた最も初めの絶望の象徴であった。それを少しずつ、訂正するかのように誤魔化しながら生きていくだろう。

「おめでとうございます。リンドバーグさん。可愛い双子の男の子ですよ」
こうして僕たちは発狂のまま産まれたのです。
イブの血筋はみなそうです。
「あら。まあ。こちらの子は片目だわ」
アダムの末裔はみなそうです。

060822