「ねえ、次はいつ来るの」
こっそりこっそり、新聞が新聞受けに配達されるより早くに出てきたおれのことを、大きすぎる草履をつっかけて追いかけて、そして追い付かれた時には本当に驚いた。あ、と思わず手から落としそうになる鞄をもう一度持ち直し、正体を見破られたサンタクロースというのはきっとこういうものなのだろうな、と、サンタクロースでもないのに思った。そんな例を挙げる季節でもないのに。仕方ない、国語は苦手科目の筆頭だった。
月は低く沈み、まもなく太陽がお目見えだろう。そうすればこの、今は誰もいない青白い通りも当たり前に輝く。
そんな時刻、家から数分の距離でおれはもっともやっかいな相手につかまってしまっていた。
寝巻きにしているTシャツはおれがおみやげに渡したものだった。って、早くもそれ寝巻きにしちゃったんだ、おれの今着てるのより高いんだぞ実は、って。そんな事情知るわけもないよな。餞別って言葉、知るわけもないように。
「そうだなあ、狐一くんがいない時に来るかもしれないなあ」
なんて、とっさに云ったけれど、それで済まされるわけがない。
もう来ないの、と俯いてそれきりの子供を、ああよしよしよしよし、と。ごめんごめんごめん、と。どうしたもんだろうか。誘拐しても良いだろうか。
「ママにごめんなさいってゆってよ。何回もゆってよ」
「許してくれないと思うなあ」
今の狐一の云い方から察するにいつの間にか自分が悪者であることを知り愕然。したたかな、あの、美しい、女め。どんなふうにまとめやがった。とは云えこれから狐一を育てていくひとのことだ、悪く云われても悪くなど云うものか。狐一の、前では。
「ぼくにも会いに来ないの」
「うん。きっと、できないね」
どうして、と云わない。云えない。
おれは、必死で涙をこらえている狐一をどうしようかと迷って、嘘を吐かずに 哀しませもしない方法なんて思いつかなくて、だけどどんな約束も嘘になるなら云わない方が良いと思って、やっぱりくだらないまま形にしたんだ。
「お庭にさ、ちっちゃい木があるだろ」
「うん」
「あれにさ、毎年春になると白いちっちゃい花が咲いてたよな」
「うん」
「その花が咲いたら、また来るよ」
「ほんと」
「うん。あの花が、咲いたらね。他の木じゃ、だめだからな。あの木の花だぞ」
子供というのはどうしてなかなか切り替えが早い。内心よっぽど名残惜しむおれの腕をぱっと離れて、じゃあまたね、と狐一は踵を返した。
その二日後のことだった。
おれは家族の留守中こっそり家へ戻り、お庭のちっちゃい木をばっさり切ってしまうのだった。


被 復 讐 の 夜


とんでもない大人だよなあ。
隣で寝たふりをしているコンくんを見下ろしながら、呼吸が止まってるって指摘した方が良いのか考えながら、やっぱとんでもない大人だよなあおれは。
家を出て。
まだ幼い息子残して。
家出中学生みたいな生活して。
それでもなんとか会社員なって。
帰宅後は大好きな焼酎飲んで。
深夜のテレビ番組付けたまま眠りに落ちてる。
朝になったら目覚まし止めて。
シャワー浴びて。
シリアル食べて。
くたくたのスーツ着て盗むものなんかない家にも鍵をかける。
会社行ったら朝礼に参加。
パソコンの前に座って。
ロボットにやらせりゃいんじゃないこんなの、って業務こなして。
たまにミスを叱責されて頭下げて。
そういえば学生時代はカメラマンになりたかったな、とか思い出す。
何、やってんだろ。
生活の中の、カメラ、どこ。
そんな日常。
変わらないし変える気もない。
良い悪いではなく、そんな日常はあくまでそんな日常。
無数の道は今になってきっちり一つに見え、まあその一つっていうのが今自分の足元の地面のことなのだけど、それ一つきっちりに見え、ああじゃああの頃のおれ相当視力ぶれてたんだ、と春の青さを笑うんだ。だって、少なく見積もっても百以上はあるように見えたもんだからあの頃は。
哀しいね、そら哀しいわ。
そんなある日のこと。
童話の出だしみたいに。
コンくんが、ぽ、っとやってきた。
詳細省くが同居することになった。
コンくんは復讐者としてやってきた。
コンくんはおれのことをまったく覚えていなかった。
おれが買ってやったTシャツのことも忘れてしまったんだろうか。
おれは今でも悪者なんだろうか。
ああ、どんな話に仕立て上げやがったのだ、したたかな、あの、美しい、おれのものだった女は。
きりきり悔しがっても仕方のないこと。
虚構としておれはコンくんの母親、したたかな、あの、美しい女の「浮気相手」であって「実父」ではない。そんでもって「浮気相手」であった男が「実父」というふうに立場が入れ替わっており、なおかつ面倒なことにこの「実父」、心臓が弱い。それもそのはず。したたかな、あの、美しい女はそれを見越して結婚したのだ。心臓が弱く遺産持ちだった男と。男にまったく非がないとも云えないけれど、いや、まったくないかも知れないけれど、とあるシーンでおれと出くわした男はその翌日、これまた面倒なことにたまたま発作を起こして亡くなった。たまたま、というもの、これが案外起こるんだ。実生活では。たまたま。たまたま。うん。そこをしたたかな、あの、美しい女がこれまた童話風味に仕立て上げた。

てなわけで、コンくんは今やすっかりおれを狙う復讐者に成長したのだ。

「でも、あいしてるよ」
コンくんの眉尻がぴくんと痙攣する。
お、耐えた。
「忘れた日なんか、ないよ。覚えすぎてて、新しい仕事覚えられなかったくらいだから。もう、頭ん中は四六時中きみのことでいっぱいだよ。会いたくて会いたくて、もう、このまま会いたい死にするかと思った」
コンくんは、じっと耐えている。
どうだ、つっこみたくて仕方ないだろ。 じっと見下ろしておれは鼻で笑った。
するとコンくん、いよいよ耐えきれなくなっておれの顔の上に、バン、と手のひらをぶち当てた。
「い、痛い。コンくん。鼻、たぶん曲がった」
「え?」
「鼻、鼻」
「じゃ、も一回ぶちあてて、直してやらないとですね」
おれが慌てて身を避けたところに、コンくんの寝ながら踵落としが繰り出された。
本体こそ避け切ったものの、ひゅっ、と空気が頬を掠める。
「さ、サムライ!」
何云ってんですか、と、コンくんが溜息を吐く。
この少年、あのかわいい狐一と本当に同一人物だろうか。疑惑が芽生える。したたかな、あの、美しい女のことだ。狐一と称す、狐一と同年代で同じ髪の色目の色の少年をおれのもとへ刺客として送り込んだのに違いない。しかし、したたかな、あの、美しい女のこと。去る者へ執着なんぞしないのだ。それこそが美しさを保つ秘訣であるのだ、と云わんばかりに未練などないのだ。おれも数年一緒に生きて、その程度の性質なら確信を持ってそうだと云える程度には睦まじい時期もあった。遠い遠い時のかなたで。
と、いうことは、少なくともこの少年は、したたかな、あの、美しい女の送り込んだ偽の刺客などではないのだ。
「エンジさんって、そういう趣味があったんですか」
「そういうってどういう」
コンくんはその質問には答えなかった。
「それより、さっきのどういう意味です」
「さっきの」
「忘れた日なんかない、って。云ってませんでしたっけ」
ああ、あれ。
と、おれは云ったものの。
何と続けるべくか迷い無言になった。
「以前どこかでお会いしましたか」
「う、うん?」
「何で曖昧な肯定なんですか」
「コンくんに記憶はないの」
「ぼくは」、
そう云ったきりコンくん、さっきのおれと同様に押し黙った。

あ。
全部分かってる。

突如、おれは分かった。
コンくんが分かっている、ということを分かった。
復讐しに来ました。ってのは、ピザお届けにあがりました、と同じノリで云う言葉じゃないだろう。そもそもあの瞬間からおれ達は互いに分かっていたんだ。
はい、じゃあぼく復讐者やります。
あ、じゃおれは被復讐者で。
って、本当の顔を隠して。だけどお互いに分かって。
役にはまらなきゃろくに目も合わせられないなんて。言葉も交わせないなんて。挨拶すらできなくて、感情一つも伝えられないなんて。
哀し、すぎるね。
「よし、コンくん」
「え、あ、はい?」
「これからますます熱心に役を努めよう」
はあ、と気の抜けた返事が返ってくる。おれの提案はたびたびこの返事に迎撃される。だが今晩はめげない。云い通すのだ。
「コンくんは本気でおれに復讐しようとする復讐者をやってくれ。きみは、自分の父親をショック死させ母親を未亡人にした男のことを心底憎むふりをする。一方おれは罪を認めつつ謝罪の念抱きながら必死できみから自分の命を守るという被復讐者になりきる。ね。分かったかい」
ますますわけがわからない、とコンくんは云いたげだった。
表情ははっきりと見えないけれど、だいたい手に取るように分かった。
さすが、実の父子!
これは感動ものである。
「あの、ひとつ質問良いですか」
「どんと来い」
「エンジさんって、莫迦なんですか」
「これで人間続けるくらいには」
「ふうん」
コンくんが、飲み物で云うならば気の抜けた炭酸ジュースになっている。
「エンジさん」
「ああ、何だい」
「どうしてあの木、切っちゃったんですか」
台所の流しの蛇口、出口で溜まっていたのか水滴の大きなのがぼたぼた、ぼたぼたと落ちた。まるであの時のコンくんが泣いているようだった。ばいばいまたね、って云いながら、また、なんかないこと。泣いていたのかな。
そんなふうに考えるとたまらない気持ちになって、食べ物で云うならばピクルスの入っていないチーズバーガーなコンくんも立派だよ、と云ってあげたくなった。だけど言葉じゃ時間がかかる。言葉は大変だ。設計図を描いて、部品を揃えて、組み立てて、検査までしてやっと出荷だ。
そんな、待てない。
待てないよ、おれは。
「エンジさん、ちょっと、ちょっと」
「おう、何だい」
「苦しいです、すごく」
口で云うほど抵抗しないんだな、と云うと。
努力することが嫌いなんです、とコンくんは云った。
「あの日、誰にも見られていないとでも思ったんですか」
何のことだい。
「ちっちゃい木を切ってるエンジさんを、ぼく、見ていました。二階の窓から。見ちゃったんです。クラスで風邪がはやってて、ちょうど、ぼくもそれにやられて、欠席してたんです。庭の方から変な音がするなあ、と思って窓から覗いてみたら」、
ここまで喋ってコンくんが吹き出した。
おれもつられて笑った。
ら、殴られた。
「覗いてみたら、エンジさんが、へっぴり腰で、ギイコギイコって、やってるから」
「そうか。ばっちり見られていたのだね」
「そうです。ばっちり見ていたんです」
これはもういいわけできない。
おれは、とんでもない大人だよ。
「エンジさん」
「はい」
「この、腰抜け」
「う。はい」
「いくじなし」
「ごもっとも」
「下手のほら吹き」
「妥当で」
「大うそつきの、卑怯者」
「おっしゃる通りで」
何故だろう。
六畳の寝室で布団寄せあって横になって土曜日の夜明け前、何故おれは布団の中で横になったまま、うら若き少年の罵倒によってしたたかに打ちのめされているのだろう。
ふ、と空気が流れた。
おそるおそる目を開けると、突き出された拳がおれの眉間の手前で止まっていた。その奥にコンくんの顔がある。はずだった。でもちゃんと見えなくてもどかしいままで。
「そんなあなたの血が流れているなんて、やっぱりぼくは、やりきれないです。復讐が達成されるまで、一緒にいていいですか」
もどかしいままで。 
ただ。
尽くし切れなかった子煩悩があふれ出て今、ちょうど今とてつもなくおれはまさに幸福な凡人だった。
「お手柔らかに。ね」
そして始まる一日のはじめ、さあ、始める。

080425