イ ン ・ ザ ・ ウ ォ ー タ


何やってんの、と訊くよりも前に「妊婦」とあっちが答える。だけどそれはビーチボールでしょうが、と云おうとすると見抜いた目が、黙ってろよな、と先手を取る。云わないけどね。莫迦したくなるのが暑いからだって分かってるけど、だけどそれはビーチボールでしょうが、と突っ込んでなんかやらないからね、俺は。
「ただじっと座っていても、子宮の温度が徐々に徐々に高くなって、熱いと云ってしまうのよりもずっと弱々しいぬくもりだよ。気持ちが優しくなる。触ってみて。お前の子だから」
「そういうの、気分乗らないんだけど」
それでも仕方なく付き合えば、どうなの、と問われてふと顔を上げるとすぐ近くにあったその目が思っていたよりずっとまともで驚いた。
「産まれなければ良いのに。ずっとここにいたら良いのに。この子」
本当にビーチボールだよな?とは訊けなかった。とにかく、まあまあまあ落ち着いて何か飲めよ、と冷蔵庫の中を物色しに来たものの萎れた茄子と気の抜けた炭酸ジュースしか見つからなかった。毎日何と何を食べていって最終的にこの茄子とこの炭酸が余ったのか。じゃあ余る物をどうしてお金を出してまで手に入れたんだろう。残されたものには残されるだけの理由さえ見つからない。
真夜中を過ぎて猫が鳴いている。
雄かな。
雌かな。
あの猫は。
「にゃあん、てか。ソエジマちゃんも」
深呼吸一つ終えるとソファへ戻って、そこにいる添島の手を取った。痩せた手にクダモノナイフを握らせる。ぼうっと天井を見ていた添島がナイフではなくて俺を見る。その瞳に初めて映すものが俺であるみたいに見つめる。
俺だって添島だって、これは遊戯だってこと、お互いに分かっているって分かっているのに、どうしてもこうしなきゃいけないんだろうか。
もしもそれがでたらめなら暴くため。もしもそれがほんとうなら匿うため。突き放すよ、正しく掴まえたいから。騙されてあげることはできないよ、いつか裏切るようなことをしたくないから。
「どうしても?」
煙草を銜えたまま両手を添えて、平等と云うよりは少しだけ俺の罪が重くなるように、相対的に添島の手が軽くなって数センチでもよりパラダイスに近づくことのできるように、熟練した医師のように躊躇わず切った。
窓際に置いた水槽の鏡で誰かが泣いていた。あの場所に水と魚と草を入れた日のことを思い出した。酸素と、花と、風車の置物。これもれっきとした世界だろう、って添島が笑った。あれはたぶん今日のための一日だった。
「うん、どうしても」
だから今、添島の太股を濡らすものが羊水でも、これで良いんだ、ってやっぱり俺は云い切るつもりでいる。

050720