メトロポリスと異なるのは空とにおい。出がけにあたしは道連れを買った。勿論ちゃんとお金で買ったアオハルは航海中すやすや眠っていた。瞳の色はララバイ・ブルー。白壁の建物を借りてこいつと暮らしている。広い露台から太陽や海が見える。そんな場所。
缶詰の中味を皿の上に出した。
「飯だぞ、アオハル。食え」


南 に て


「使って良いとは云っていない」
じゃあ何故ここにあるの、と問いたげに困った顔をしながらアオハルはあきらめてフォークを元の位置に戻す。
「手なら許可するって云ったっけ」
二度目は少し抑揚を付ける。何も悪くないアオハル、たじろいだように瞬きをする。 ようやく舌で舐め始めた。両手を食卓の端にかけ、腰をかがめる。やがて口の周りが音を立てて汚れる。食道も胃も腸も稼働する。従来のタイプのように食事の時間を白けさせない。だって、大事な時間だったと思うよ。その機能を欠落させたままで済まされない程には。
「どうして拒まない」
しばらく見つめてから小さく訊ねる。顔を上げてから大きく青い瞳が揺れる。口の周りはべたべただ。台無しだな、と考える。あたしのせいだろ、と愉快になる。
「あたしをすきだろ、アオハル。だったら叱らないと駄目だ、ここにはあたしたちふたりしかいないんだから。あの人ならそうする」
忘れるんだ。どれだけ深く知っていたって、いつかあたしは忘れるんだ。
社会のオートメーション化で無名の技術者が外部の記憶装置を高度に発達させた結果、記憶容量としてのブレインは鍛えられる機会を失い縮小した。しかし何事も記憶するに価しない。この、ねじけた嗜好とほとんど同じレベル。
「見えるの?」
その声調はアオハルが所詮レプリカであることを教える。
「ぼくがあなたをすき。いま、ちゃんと、そう見えるの」
なるほどレプリカ、だけどそれが何だ。
「うん」
掌をつたわる頬の温度が、あの人の平温35.76度に重なるよう、騙し騙して愛でている。ここにいるのがアオハルであったってあの人であったって他の何であったってあるいはあたしだけだって。

「いま、ちゃんと、そう見える」

だったら信じるだろう。あたし自身また誰かのレプリカであったってそれが事実であったってあたしが買ったのじゃなくあの日アオハルがあたしを買ったのだとしたって。忘れてゆくね。しあわせなほどに何もかも忘れてゆくね。みんなのしていることをあたしたちはここでしている。「よかったね」、とアオハルが微笑む。これはこれで、もう良いさ。

「それなら何も問題ない」

太陽が海に浸かる。残りをアオハルが平らげる。あたしは笑って頬杖を付く。南にて。あたしがいなくなってアオハルがいなくなって太陽がてっぺんまで海に沈んだら、ここに残るものは何だろう。それはたぶんしあわせな夜。ふたりがいなくなれば、哀しみさえ残らない。忘れてゆくから、誰も気づかない。それはそれで、もう良いさ。狂ってはないよ。いたくもないよ。微かな予感にときどき泣きたくなるだけだ。

060124