「才能」

何者かに似てしまう何かであるぼくを
愛する理由はなくても愛することはできるきみの





「病棟の住人」

わかっているんだろう
もう

寝息のように吐けるものであってはならない
血なまぐささの無いものを産んではいけない
安寧と平穏はある意味で悪事を模倣した
錆びた鍵が傷つけた指先で僕はタイプする

書物を孤独の根拠や目的に用いてはならない
説教じみた愛と裏返しの親愛はあなたとの間に果て無く
かけがえのない時間を授かりながら僕は今にも寝てしまいそうだ

もうわかって
いることなんだ

痛みという言葉で本物の痛みは伝えられない
同じ深さで同じ角度で同じ傷を与えない以上は
複雑な記号に失望のふりをして本当は飽きられて
捨てられる前に捨てていくふりをして呼び止められるのを待っている

愚かという言葉で本当の愚かしさはどうしようもない
汚れもせず磨かれもしない物事がこの世の中にごろごろしている

易しさは優しい

僕はあと何度、
あなたから手に入れるもののためにあなたのことを殺すんだろう

そんなことを考えながら
今日はね今日はねと
ずっと前から見知っているような青白い額の男に喋りかける

男はいつでもやや俯いて
南東に向いた新緑の窓から差し込む光しか
受け取ることを拒んだように微笑んでいるのだけれど

だけどねあなたは誰とも会っていないのですよ一年も前から一度もねと
労わるでなく諭すでなく今日ただ事実のみを告げられ
僕は次なる冒頭を失念すると同時に
耳目の徹底した不能を思い知る





追い縋るように生える
緑の植物を断ち切りたくて
乗車予定の夜汽車にもう間に合わない

遠い場所で雌芯が泣いている
美しきは飲み込まれ
醜きもまた食される

優秀な料理人は息絶え
家の扉は鉱石を削った釘で
内外の行き来を頑なに阻んだ

乗れなかった夜汽車が毎晩のように笛吹く

取り残された以上ぼくは
裏切らないシーツをかむって
体から出る滴を遺書のように染み込ませるだけ

オリオン座かがやく
夜汽車は人の墜落のように走っていく





書きたいことはたくさんあるのに
伝えたいことでそれらはないんだと
どうやって説明しえたなら
この女は安心して僕のことを見るだろうね

ソースが固まりつつある皿の上
友人が食べ残したのは兄の耳
優秀な料理人のもとで
才の無い文筆家はペン先を噛む

食卓の下で手が自動に速記する
何か勘違いして向かいの人間が僕に目配せし
飲み下したばかりの牡蠣が逆流しかかる

それでも世界は
続いていくんだ

僕はふっと意識を遠い
まだ踏みもしない草原に飛ばしてしまいたくなる

反対向きに書き付けた文字の列だけは
その場所へ僕より確かに僕より早く辿り着くだろう





ようやく開いたと同時に
花は自重に耐えられず
がくから呆気なく放棄された

花弁はまだ瑞瑞しく潤ったまま
おしべとめしべは何ら美しいまま

耳の聞こえない少女が訪れて
何も云わずに花をひらった

この時、花の運命は
遠い太陽に照らされながらよりも
黒い瞳に見つめられながら枯れゆくに決定した

昆虫は交配しない
子孫は二度と残さない
地球に最後の一本
さようなら、茎





「餓死者」

二つ三つと増えていき
相乗効果で桁違い
どれも好きで収集がつかなくなって
僕はどれかから嫌われなければと思う

何かを嫌いになるには
僕がそれから拒絶される必要がある
務めて生意気な役を演じ
かえって群衆を味方につけてしまう

生まれながらのヒーロー
失脚しえない時の皇帝

愛すべきは天文学的に増え
何の因果も無い水難者のように
僕は遭難し餓死する
こんなにもたくさんの善意の中で





「クロスワード・シンドローム」

正面も後頭部もお話にならない
僕は横顔さえ見られればそれでいい
切り離されたシンメトリー
一本の稜線をほつれさせず手繰り寄せるから

光の具合は七日間ずっと奇跡
睫毛はそんなに薄かったかな
伸ばした手は指先は
影と水のように溶け合ってしまうけど

とらえられないのは視線も同じ
白黒の升目に何を見るの
偽装された暗号と揃えられた解答
安易な謎に挑むきみの愚かさだけが変わらずに好き





規則正しい律動は
音や文にあらわれた
そうか誰もひとりでは
何もなしえなかった
僕はいたく感心してしまい
無価値だと捨てたすべてを
今日からいつか死ぬ日まで
慈愛をこめた手で拾い集めに行く





全校生徒を収容できる水槽は
たった一滴の青い水滴で駄目になったとのこと
言葉はどうしても誤解を招くから
微笑や苦笑は顔の筋肉を傷めるから
暴力は非難されるべきものだから
その一滴を垂らしたとのこと
校長室に舞い込んだ手紙が告げていた
この時世に犯人はなにゆえ手紙などといった
タイムロスが発生する手段を選んだのか?
町は一時騒然となった
駆け出しの新聞記者が
彼は、そう、
つい一月ほど前まで
家畜を食い荒らす野生の猪に付着してその血を吸う
虫について研究していた学生に過ぎなかったが、
今やニッポンの一大事件を書き立てる発信者になりつつあった
水槽にまず入れられたのは池の鯉だった
鯉は慣れない様子で徐々にいつものごとく
汚染水(とされる、水)の中を泳ぎだしたが
ある一定のゾーンに達した時、氷結したように動作を止めると
腹を先に水面に浮かびあがってきた
次に入れられたのは猫であり犬であった
それから先はもう読者の皆様がご存知のように
同級生や教師やたまたま居合わせた変質者だった
やがて水槽が人でたくさんになると
今度は誰もがどうしても水に触れたくてたまらなくなった
あれはどんな生命もたちどころに奪ってしまう汚染水(おそらく)だというのに
やがて水槽は多くの亡骸であふれかえった
上空からそれは大盛りによそった飯粒のようだった
いわんこっちゃないや。
青い小瓶をズボンのポケットに入れた
至極まともな顔つきの人間がひとり、途方に暮れた演技をかましている。





体内で迸る流れは清く
指先は痙攣しそうなほど気が興じているのに
空はこの恍惚を俯瞰して
触れるか触れないかの愛撫しか施さない
虹として見える光だって本当は
この世界にいつだって溢れていて
それが見えないようにあっていてくれるから
ぼくらはいまだに誰ひとり
そんな理由で屋上の柵を手離したりしないね






今日の月はよく太り
きみに届かぬ涙のように丸い夜だ