「相棒」

誰かの瞼の窪みのような
柔らかく脆い所で
一本足を投げ出して
傷と骨を弄っている子供

近くでまた誰か倒れ
掴んだ泥の中の
生卵と目が合う、子供、打ち震える

空想は膜を張り
彼が吸うぶんの酸素だけ
通して後は素知らぬ
熱も風も膜の上を滑るだけ

義眼を取って語りかける
(子供は一人称さえいっとき忘れたが)
親兄弟も友の名も
今の彼から遠い場所にあった

僕は最後まで不具だった
姿に対称を持たなかった
聞いていた義眼は応じた
ただ一言、悪かないさと

太陽の軌跡を
追って月が昇る夜
昆虫の軌跡を
辿って獣もやってくる

メリーゴーラウンド、
おもちゃのピストル、
レモンの色のワンピース、
憧れは疾走する
三角帽、
クラッカー、
サイダーの気泡の向こう、
無駄しかない日常から今はあまりに遠く
若い牡馬はどこまでも駆けていった
完璧な四脚で地面を蹴りつけて
駆けていった
駆けていった
そのたてがみには義眼が絡み付いていた





こんな苦悩では
産まれてきたことの尊さに
到底見合わないと
深海のような無音から
外側を見上げている

聞こえてくるのはすべて
臓器の震え
それはけなげな働き
(忘却を希求する)

だけど脳は忘れない
きみが歩く浜の
砂は僕の
肩甲骨のなれの果て

掴もうとしたものによって
掴まれた残骸は世界の片隅
居場所を失い宇宙になった
この密室は亡骸でできている





酷だ。と、それは酷だとあなたは云った。求めすぎることをやめたら何のために明日も、この今も呼吸なんかするだろう。錯視の罠と永劫の不在。言葉は組合せのみで蹂躙され意味は剥離する。変声期前の電子旋律が鼓膜から吸い込まれて血に乗る。川には出口があり海は空へ上るがこの巡りはいったいどこへ行きつくんだろう。疑問で語る口が成長しないまま憧憬の対象ばかり極北の雪のように積り当たり前のようになっていく。マンションの一室からコインランドリーを見下ろしている。夜の街にそれは煌々と明るい。海路の灯台に似て。
どんな光もたとえそれが唯一性を所有していても時にただ哀しいと覚えたのはちょうど今晩だった。沈んだ闇の中でその姿と内部構造を浮かび上がらせる一室は外科室のような奇妙な美しさもあったが見る者の心がそれに寄り添うからか等しいからか相似しているからなのかたとえば今の僕が感じるようにただ哀しいと見えた。
若さは何の保証でもないがすべての理由になる。
この途方もなさは手におえるものではない。百年後よりも明後日のほうが見えない。百年後僕はいないだろう。
捨てた不可能は何ひとつない。誰が悪いでもないのに何かを責めたくて仕方がない。鋭いものの握り方が分からないと血を憎む。明確な使命のもとに動き続ける粒子の健全性を羨むからなのか。
夜のプールに浮かぶ。模したのは胎児か亡骸か。裏側から月に照らされた雲が金銀を散りばめた星雲のように発光している。仰向けに浮遊している。
「おまえの考えは酷だ」。
苦笑しているあなたの顔も、もう幻かもしれない。





反射を利用した
面の埋め方

定理
フェルマータ
蝶の乱獲

潮の気配
海流
遠い

いま初恋は
あの岸辺に横たわる





美しいもので溢れて
意識しないと呼吸は続かず
努めなければ鼓動は維持できず
どれだけの愛を送っても好きがぼくを潰してゆく





すぐにでも明日の国へ行ってしまう
複製の効かない落日の煌めきにも
気づかずに君はひた走る
初恋を殺しに行く長い影となって





「きっかけ」

落ち着かない
落ち着かないまるで子供
ソファの縫い目を引っ掻く

水槽に沈んだお城
実家に帰らせていただきます
そう云ってあそこへ潜れたら幸せだろうが

落ち着かない理由
水槽とは関係のない明白な理由
潜水の必要性はまったく感じない

炒め物の音
おまえがそうやって作る
料理がまずければまずいほどいい

ぺっと吐き出して
それから
それから
やっと何かを云ってやるのに

おいしいかな
笑っちゃうかな
ぺっと吐き出して
それからしかきっと云えないこと





「ここは何階」

見下ろした光の鎖が
夜の街を横切って
遠くの山まで消えないで続いている

ほら、きっと鉄道
軌跡と線路とがそれ自体で
ぴかぴか輝いているの

傍らの気配を分かりながら
だからこその孤独を知る
本当に他に誰もいないのなら
ずっと知らないでいられたことだった

紳士淑女の皆様
ねえここは何階

見下ろせる光の鎖は
夜の街のひしめきは
鉄道の弧は
軌跡の輝きは
どれもこれも確かなのに
そこにあると分かるのに

脱げた靴がまだ音をたてないの
地上に辿り着かないの
わたしが悪い子だから?
笑うように泣く
まだここは地球なの
それなのに靴がまだ
脱げたきりどこへも落ちてゆかないの





「がんじがらめ」

捨てながら拾う
拾いながらもう捨てるものを選んでいる
握り返す手が哀しくて
ほかにどんな方法があるだろう
僕は問いかけずにいられなかった
代わりにひらうよ
空いた右手を振って見せられる
だけどと云う口をふさぐみたいに
その手は僕の空いた左手を掴むんだね





どこにも届かないと睨む目を
見た後で彼岸花は色を失う
生きるとは発すること
光を、そして色を
他者に自身を欲しがらせること
意味がないものに意味を付与すること
時に無力にひしがれること
あなたの隣で僕はゆっくりかすんでゆく
世界にその一色だけとしても
僕は死ぬまで退屈しないよ