時間は一つずつ無かったことにされていく
顔は一つずつ剥がれ落ちて消えていく
知っているひとがいなくなって
無口なぼくは誰に何を証明することもできない
こんなことならもっとおしゃべりをしとくんだった
思ったってきっといまからじゃ何もかもが手遅れ
茶色いくまのぬいぐるみ
引っ越しの前日に誰かがぼくにくれたんだった
誰かが、なんて意味の無い意地悪
だって彼はもう遠い
夜空にいくつ星座を足したって
きっと落ちてくることは絶対にもう二度と絶対に
布にくるまれて時限爆弾がひとつ
茶色いくまは変わらぬ笑顔でぼくに腸を見せつける
生きていたのは、なんだきみのほうだったのか
星ばっかりの空の下で、飄々と生きてきたのは





どうしてそういうすべで
と思い起こすひとがいる
散るための花が
繰り返し咲くための季節が
あまりに不器用だと笑って
くれていたらいい

何十年後、
とあなたは言いかけ訂正する
その逡巡をどれほど回顧したか
もっと近い未来、
と約束を結んだくせに
あなたは知ることがない

まなざしはどこで漂流し
どこに漂着したのか
それとも今もまだ
屈折もできず貫いているのか

雨上がりの空に
疱瘡を生じた関節をかざす
乞うように祈っても
光はいまだ、遮られる





同じようには見えていなかった
同じものを見るからこそ違っていた
それを分かりたくなかったら分かったふりをしていた
きみが指摘するまで嘘は本当だったのに
時計の短針がまっすぐに七を指す、まさにその一瞬前まで。

潰された水滴の向こうで光がでたらめに景色を織り交ぜる
いつも視界がこのようであったらいいのにと口にすることは
望まずともそうである誰かにとっての中傷に価するのかな
もしもどうにもならないものが平等に配分されても
僕らはきっと何かにつけて足りないとねだるようにできてる。

たった一人でぬくめたものだと思っていた毛布の熱も
ついさっきまでそこに誰かがいたせいだと今にも分かってる
ワイヤーに占領された部屋の中でそれでも満ちたものは無く
原始と変わらないものを窓の外に求むけれど誰かが潰した水滴がそれを隠す。





美しいものに祟られたい
いつだって誰かが願っていたことだ
割れた鏡の前に立って
どしゃぶりの日に雨樋の下で
あるいは張り出し窓に腰掛けて

満ちるものを遮る
遮るものを妨げる
妨げて反動で傷がつく
流れる血を飽くまで眺める

脈絡を求める者を馬鹿にして
あたかも自然体を装って
わけがわからないと別離を宣告され
それじゃあ次を始めようと告げるのは僕

もうすぐこの青は終わるね
終わりを告げてまた何か始まるね
つながってはいないんだけれど
きっと続いていくんだね
あなたまで忘れたらきっと諦めるよ

美しいものに祟られたい
いつだって僕が願っていたことだ





最近はずっと
昔のことを思い出してる
といっても自分の記憶ではなく
ぼくのかつての両親が
今のぼくの年だった頃の
ふたりぼっちの逃避行
地名の響きだけで選んだ旅先
そんな夏の一日とか
写真でしか知らない空の青を
血で継いだみたいに
それで生きているお呪いみたいに
最近はずっと
そればっかりを思い出してる
自分も一緒に連れていってよ
波が去った後は窪みだけ少し深くなる
夜に溶ける影を真似て
ぼくも早く消えてみたいのに





途中までやって
すぐに諦める
これはもうだめだと
終わりなんだと
まだ何も始まってさえいないのに
終わるはずなんてあるわけがないのに
へなへなと魂が抜けてしまう
一度も何にもこめたことのない魂が
どこから抜けていくというのか
午睡はたっぷり取ったのに
今すぐにだって名前を確かめたいのに
縫い止める糸はないのに
誰かや何かのせいになんてできないのに
うるさいからと秒針は自分で投げたんじゃないか
最後の切り札を捨ててしまって
そうまでして
明日は何のためにだって目覚められる予感さえ抱いて





砂浜に打ち寄せられた
無数の刃
どこをさまよってきたのか
何を傷つけてきたのか

言葉で問おうにも
空はあまりに何も無い
すべて隠したうえでそうなのか
もとより何も無いというのか

望んだとおり誰もいない
鳴き声は聞こえない
眠り続けて気づかれもしない
夢にまで見た花の絨毯のうえ





「美しい笑顔」

抱き続けた疑問は愚問だったと
人の認める敗北がどうしても美味な貴方
虐げられた屈辱が恍惚と変わるのを
疑っていない貴方はそのまま祟りを起こしたい

大丈夫ですか、
転居してきたばかりの隣人が窺いながら案ずる
却って問いたいことがある
大丈夫な者などいた試しがありましたか、

だけど現実にはアクションしない
だってその瞳はすでに怯えて
それでも私を案じたというのだから

紋白蝶を殺した
その罪を告白しながら生きてきた
しかし大したことではないと
誰もが犯す軽いものだと

そして行き場を失くした贖いを
大人になった今もひたすらに持ち歩いてる
延滞ばかりの本の隙間に
スマートフォンのケースの裏っ側に

名乗る度に忘れられて
消え去ろうとするたびに喚起された
追憶と忘却の狭間で蹂躙された魂が肉を露わにしてる
やさしい人たちはそれも夕焼けみたいだと笑う

ずっと前に人の死んだ踏み切り
閉鎖されることもなく今日も誰かの足が行く
重い体を引きずりながら
明日にはきっと緞帳も上がるさと





堤防。紺碧の水平線。物凄く緩やかな曲線。円を結ぶには緩慢に過ぎる。ピアノ。松の林。六分の一でしかない一年が、六十分の一にあたる一年間と比べられる五十四年後はもう、すべてがありのままというわけではない。そういうふうにはいられない。君は信じる。そして裏切られるから。人差し指と中指の隙間から覗いた世界を閃光がよぎって二人して瞬きを忘れる。証人のいない恐ろしさをまだ知らないくせに。善か悪かでいえば善だった。幸か不幸かでいえば幸だった、まちがいなく、僕らの日常をいたずらに脅かすものの性質としては常に。赤色のインクで描かれたこの世界と隣の世界。灯台の根元には漂着した洗剤のボトルがぷかぷかともう何年も浮いている。それと話をしながら今夜も灯台はまっすぐに照らす。それでも船は座礁する。珊瑚に守られたこの島には誰も近づけない。射るつもりで光は擦れて消えていく。どこかでグラデーションのように消えるのだろうか。それともカットされたリボンのようにぱっつりと。くすくす。そこまでは歩いていけないねえ。不可能なことってまだあるよねえ。実現できないものを、ことを、大切にするという、こと。僕といる今以外の時間であるならどこにだって戻りたいんだなあ、君は。