「星の歌」

同じ風だろう
同じ潮だろう
追憶は永久にこれを道標にするだろう
これを変えることなどできない
それをまともに受け止めていた
無限の無数の青の中にいた
予感なんかこれっぽちも無かったあの頃

彼等は彼等でなく個だ
ひとつひとつ
だけれど彼等の間に生じた関係性
好意や嫌悪や羨望といった感情
ただ見えてこないというだけで
名前しかないというだけで
蜘蛛の巣に受け止められた雨粒のように
ぼくは明け方の光待ちだった

誤る保証しかない
痛い目を見る気配しか感じられない
悲観しすぎて大仰にならないほど
引き裂くことのできない
呪いばかりだ
生きていけば変わるばかりだ
変わらないものは死んでしまった
死んでしまった人を呼んで
諦めて見上げれば銀河が差し伸べられる

一度きりの給仕みたいだ
あの時もぼくは差し伸べられた
実際目の前にあったのは硝子のコップで
中には透明な水が揺れていた
何の前触れも無く
何の断わりも無ければ何の過ちも無く
何をもってして断言できるのか「精確」に
それがあなただった

記憶を構成する文字列
裏切らない唯一のもの
だけどその時にわかった
言葉じゃない
ぼくが言葉から見放されるだろう
変わってゆけるだろうか

閉じ込めておきたい
覚えていればいつかまた懐かしさに泣くから
閉じ込めておきたい
だけど言葉になど譲り渡したくない
果たして可能だろうかそんなこと
あなたを好きだ

おかしくって笑いにもならない
あなたにさえ伝わらなくて
伝えるつもりはなくて
ぼくだけが知っていればいいと思ってる
そのぼくが生きていけばいいことだと思ってる
絶つことは時に任せて
五臓六腑を呪いでいっぱいに満たして
睨めつけるように明日を探しに行けばいい

あなたはやさしい
それを思うとぼくは認めざるをえない
やさしくないものなどぼくの周りに何かあったか?
一度だって?

いくら考えても力なく首を振る他にすることが無い
求められ方次第で生死をぼくが秤にかけている間にも
あなたはもくもくと濾過をしていた
たったいっぱいのコップを満たすため
時には自分が飲み干してしまいたくはならなかったか
疑問は直接に問えばいい
あなたはぼくを見返す

からっぽの体がその眼差しでなみなみと零れる
いつか触れることができたら伝えよう
追憶は立ち返った
まったく見ず知らずのあなたのもとで
銀河を秘めた尾を授かるだろう
這った後にも星よ降れ、降れ 「海中夢」

切り花用のハサミで
アルミ缶を工作していたら
本当に
何の意図もなかったのに
いや、それがためにたぶん
指先の皮膚を破いた

その薄さに
血のまだ赤いことに
ごめんなさい
と言う
おかあさん、ごめんなさい

もの寂しい港町だった
急成長の果ての
長い長い衰退
巻き戻すバネは伸びきって
ひと思いに終わらせてはくれない

干潮により変化した地形を
ビニルサンダルをつっかけた
あぶなっかしい恰好で渡る
無人の離島へ
そこに住むつもりで
いまになって思えば自由で不憫な子どもの発想
ちょっと波が高ければ島ごと飲まれてしまうのに

だけど緑はいつもあって
樹が根こそぎ取って行かれることはなかった
高校を卒業した僕が
名の知れた街へ旅立つ朝も確かに

とめどなく、
とめどなく流れる血をそのままに眺めていたら
誰かが紙切れをさしだす
道を歩いていたら貰える携帯用の手触り
放っておいて、と拒んだら
腕ごと掴んで止血を試みるお節介屋だ

右手が、
と僕は実際右手に薄い刃となったアルミを掴んで云う
止血に精一杯なあんたの隙をついたらどうする?
手当者は口元だけでクッと笑って紙切れを裏返す
それを、待ってるんだけど?
ふいをつかれて僕は何の作りかけか分からない物体を取り落した
って、言ったら?
今度こそ手当者は目をあげて僕の俯瞰を掬い上げるように首をかしげる

もしもそれがナイフなら
抉れて傷は致命的だった
もしもそれがナイフなら
実体のある
ナイフだったなら……

潮が引くと見えた景色
緑の島に隠した秘密の数々
そのうちの一つは紛れもなく犯罪であったこと
どこにも出したくなくて消えてもらいたくなくて
僕がこの手で閉じ込めてしまって高波が受け取った幼い命

初めて話すことを口にすると
僕にはそれがたんなる創作のように思われてくる
実際行って確かめようにももうずいぶんと前なんだろう?
僕は頷く
それを云って欲しかったみたいに

だけどこうも考えられるぜ?
すっかりくつろいでアイスコーヒーに口を付けた頃、
変色した血の染みを折り畳みながら彼はふっと切り出す

あの時波にさらわれたのは本当はおまえで
そう仕組んだのはここにいるぼくで
おまえはぼくの記憶を自分のことのように語っただけなんだ
その証拠に傷口は傷まないだろうし外からの力が無ければ血は止まらなかっただろうし

だいたいおまえにはいつもぼくが見えているよな?

手が滑ってガラスが床で砕けた
見下ろすと足元にはアイスコーヒーなのかそれとも変色した血なのか
それともそれらの混合なのか
得体の知れない液体が人影のような形に零れている
目をそむけたものはその中からも立ち現われて、言った

「生きろって云ってるのさ」。

呼吸の仕方が唐突に分からなくなって僕は後ろへ倒れ込んだ
背中を誰かが支えている
それが誰かを確かめる前に意識が遠のく

血のなかを巡っていた
海の流れを漂っていた
誰かの白い頭蓋骨
眼窩にはちり紙を縒ってつくられた花が一輪
塩水が染みて七分咲きは萎れる

こんな夢のあとに目覚めてもそれはそこにいるだろう
こんな夢のあとででも僕は縋ってそれに物語るだろう





いまも残る
ファインダー越しの視線
笑い声も風の音も
全部フィルムの下

遠くなったんじゃない
繋がってきたんだ
だけど僕は置かれていく
そんな気持ちを捨てられないでいる

あまりに幸福で
輝かしいもの
懐かしい甘いもの
すべて孕んでそれはあまりに幸福で
知らなければ良かったとさえ思うような
見なければ良かったとさえ思うような

すべてと言えるすべてがあった
切り揃えられた髪の下から
譲られた形の目は
やっと気づいた僕を見ている
蔑ろにするようにそれでいて
今にも破顔してくれそうに





真夏の太陽の舌が
ねっとりと浸食する
育成に失敗した種子が
土の中で別の生き物に食われる

炭酸の抜けたサイダー
ペットボトルに吸い込まれた光
それはすぐに屈折して
難破船から覗いた景色のように
揺れる渦を天井に映し出す

明日には壊れる
今はまだ生きていても
書きかけの原稿用紙
縁側と庭に散らばっている

一目見て死体だと分かるような
それでも僕は生きている
むっくりと起き上がる
日蔭の猫に教えてやるように
暑い、と一言つぶやいた