かわいそうなきみ
ちょっとぼくを知って
ちょっと優しくしたばっかりに
手の内を明かされて
胸の内を語られて
なじられてねだられて
わけがわからなくなられて
ねじこまれてひねくれられて
きみはかわいそう
冷たいままならよかったのに
だってかわいそう
だってかわいいから
そうだね
きみはかわいそうなひとがすきなの
飢えた目としかまじめに目を合わせなかった





傘の先から落ちる雨粒は平気
なのに
キッチンの蛇口から水滴の落ちる音
どうしてそうじゃないんだろう

こんなものいつか手離せると
信じたこともあった
だけど消えなかった
油断をしたらまたすぐ始まる
どんどん鮮やかになる

始まっても始まっても終わらない
終わっても終わっても終わらない

囁きも叫びも
きみは正しい
眩しすぎて遠かったんだ
光に覆われて何も分からなくなる

夜のほうが明るいみたいだ
夜のほうがたくさん光っていて
何がどんな形で輝いていて
どれくらいの速さで瞬いているか
待ちながら教えてくれる

広い河を渡る
オールを捨てて
帆を羽織って
追っ手をまいて

誰かの経血みたいに
ただ流れ落ちていけたら
もうどこへも逃げたりしないのに
こんな夢も見ないで済むのに

きみがぼくに連れ去られて
昼ばかりの世界
誰もが頑なに目をつむって
疎んだ夜を乞いながらも泣けない





伝えられない
どこへも出せない
内側で渦巻いて
花と種を繰り返している

生まれて間もない
思いは嘆く
年月が遠すぎて
はぐらかされているみたいで
いつまでも名前もつけてもらえないで

染み込ませてもまた出さないと
世間は許してくれない
それでは未来に行けないと言って
ぼくの贓物はずっとヒタヒタでいたいのに

一度もきみを知らなかった
今まで知ったことがなかった
でもずっと好きだったよ

きみはまだ舐めている
ぼくが忘れたぼくの傷
もう痛まない痕跡だけのでも
このままずっと息ができるよ





どうしてだろう
ひとが忘れてゆけるのは
そして事実だけが残るのは

どういう了見だろう
あなたばかり変わって見えるのは
ぼくの記憶力が脆弱きわまりないのは

どうしてだろう
わかっていてやめられないのは
感性は摩耗しているのにタフなふり

何を生み出せて
何がもう生み出せなくて
それは誰へ届いて
そしてまたどこへゆけるだろう

幼いころに見た入道雲
恐ろしくて足元の影ばかり見て歩いた
そんなぼくに帽子をかぶせて走り去った
あなたは今どこでぼくを覚えているだろう

星砂が指の間をこぼれる
膝頭に頬をくっつけてそれを眺めている
ひとつひとつは頭がい骨の形をしている
たとえば生まれ変わって
世界中の海岸からあなたを見つけ出せるだろうか

そんなことを考えて
波打ち際で途方に暮れた





きみの目を通してぼくが見える
昔から願っていた
きみの中に入ってみたい
きみがどんなふうにぼくを思っているのか知りたい

拳銃はいつも手近にあった
金魚のいない水槽にや
差し出された皿の上にフォークと共にや
つま先を差し入れた靴にや
皺の無いベッドの真ん中にぽつねんとや

炎天下の街頭で誰かが笑っている
あいつはふれてしまったんだと
知人がぼくに教える
だけどぼくは知っている
彼はぼくにしか見えない
ぼくもまた彼にしか見えていないのでは

歩いた数だけ履き捨てられるように
またとめどなく彷徨する
やがて最初の位置に戻って来たら
差引を計算して喪失を弔う

商店街の軒先
雨粒の垂れる傘の先
薙ぎ払うように振りかぶって
遠雷を背に虹を切り裂きたい衝動

きみの目を通してぼくが見える
きみの皮をかぶって往来をゆく
このまま冥途まで行ってしまおうか
だけどこれでは手が繋げないね





雨は色を奪われた血潮
星座が流した
無用の長物

地上に降りしきる
残骸や鱗
拾い上げられた神話

黒い手
白い手
黄色い手
足りない手
匂う手
冷たい手
熱い手
交わらない手

こんなに自由で
不自由から隔たって
いながらなお
あぐねる
馬鹿のねぐら

星々は見下ろす
かわいそうな地上
何世紀も変わってなくて
あくびのかわりに流れ星が出るってよ





いつから刺さっているのか
思い出せないくらい遙かなこと
指の腹のちいさな黒い棘
ちいさいけれど
これを抜いたら血が溢れて死ぬという妄信

見果てぬ想いを馳せる時
悠久は海原を越えてゆく
届かないまま
それでいて
誰からも解き放たれないまま

追憶は蔓の先に芽吹いた花
広げても何も受け止められない
発しても発してもどこへも伝わらない
ましてや願ったところへなど

白い砂丘は青の底
足跡は砂の中
笑い声はお城とともにあった
だけど波がさらって跡形もない

くるくる回る麦わら帽子
いつか嘘になればいいと思って永遠を誓った
あの時心からそれを願ったならば
いま僕はこんなにも繰り返し君の名前を呼ばない
幾つもの波がさらっていった場所に痕跡をもとめない





躊躇わないきみが羨ましかった
刃物を突き立てようとしている時に

それが果物であっても
干乾びた大地であっても
健気に脈打ち続けた
きみの心臓の上であっても

ぜんぜん躊躇わなくて微笑ましかった
きみがそうまでして希求したものが
掃いて捨てられる光景をさっき見たんだよ

戸棚の奥
植物の先っぽ
揮発した明滅にも似ていた

分からない?
ありふれていたんだよ
まだ分からない?
誰も奇跡になれはしなかったんだ





夏が来て
たぶんとっくに来ていて
すれ違った人体から
人工物が香る

だから言ったのに
だめだって
外へ連れ出したらいけない
僕はそういったやつなんだって

植込みの傍ら蹲って
名もなき草を握り締めて
嘔吐を続ける僕の斜め後ろ
顔の見えないあなたの考えは見え透いている

どうして今だった?
何に反応した?
どうして今だった?
何故あの人体に対してだった?

知らない
世界中どこを探したって
誰かが知るわけがないじゃないか
あなたが知らなければ
僕に関することなど

どうでもいいことはひけらかし
それでいて本当は隠したがっている
同時に失った
それぞれの片目の行方を
聴こえぬふりをして捧げあった
夕立より唐突な愛の始め方を