『ある朝の始まり方』

あたりをいつも黒い幻の影が浮かんでいて、自力で二度と遮れなくても、もとより真っ黒い夜空にはそれがまるで投影されないので、夜はいいな。澄み切っている視界を取り戻すことができたみたいな気になるので。どこを見ても幻は幻でしかないので。明けなければそのまま忘れてしまうのか。しまえるのか。だがそれを考えているうちに空は東から白んできて、僕はまた伏し目がちに歩き出さねばならない。
幻は幻のまま現実の中、僕の後ろを、どこまでもついてくる。

空っぽの水槽を見ながら10年後100年後を思う。僕はいないだろう。でも僕の嫌いな人間の子孫は繁栄しているかもしれない。僕がいま憎んでいるものも愛しているものも一緒くたに消えたり復活したり忘れ去られたり思い起こされたり引っ張り出されたり押し込められたり改竄されたり捏造されたり糾弾されたり賞賛されたりもう何が何やらどれがどれやらしっちゃかめっちゃかわけわからん。てな感じになって誤解されるわ再発見されるわ引用されるわ無視されるわ葬られるわ朗読されるわ書き起こされるわ埋め立てられるわ論破されるわ分類されるわで、ああどこまでもいつまでもなんにも落ち着かないったら。

救いは少ない。だからそれを見つけることができる。少ないものはよく光る。少なくとも僕はそれを信じる。

扇風機を分解して箱にしまいながら毎年思うこと、ふたつ。
来年もこれを出して組み立てるだろうか。
それから、質量保存の法則。苦労して分解してもあんまりちっちゃくなんないね?

自動車が走る。
鶏がつつく。
芽は土を押しのける。
川は流れる。
星は爆発する。
テレビは黙る。
昆虫は進化する。
コップは割れる。
朱肉は乾く。
小包を受け取る。
消印の日付を訝る。
宅配業者をどうしても思い出せない。
ガムテープを剥がす。
きみの指が出てくる。
火薬が爆発する。
僕の指が吹っ飛ぶ。
二つはよく似てわからなくなる。
血は滴る。
悲鳴は引っ込む。
隣人が覗き込む。
だいじょぶだいじょぶと笑ってみせる。
他にどう言えようか。

これは事件だろうか?

コーヒーが香る。

コップは寄せ集められる。
昆虫は退化する。
テレビが喋り出す。
星は死滅する。
川は滞る。
芽は地中に潜り込む。
鶏が吐き出す。
やがて。
それから。
止まった自動車からきみが降りて来て僕たちは再会する。

指の減った手を見せ合いながら初恋みたいに微笑み合う。

どれもこれも当たり前の一コマ。
なんの変哲もない、見過ぎた夢の続き。





『寝起きに寝言』

大切なものを撲って
知らないものを盗んで
目に映るものに抗って
触れないものに陶酔する

知ってることに嫉妬して
足りないことを憂慮して
満ちないことに不平して
足りてることに辟易する

飽かない世界
銃弾は小鳥を落としそこねる
未知なる一日の始まりと終わり
蕾はこうべを垂れる

青くほのかなしゃれこうべ
寄せ集めの神様に
繋ぎ合わせの祈り
聖なる怠惰と幼い希求

ああ砂利のように均せたら
夜霧はやがて朝露に変わるのに
海のむこうで夜が目覚めるとき
僕の指先で朝は眠りに落ちるのに





『逃げない頬』

けがらわしいの先で
試すように絶った
ぶしつけの真んなか
切れない腱に苛立った

ばかだなあ
管は腱に守られてるんだ
だったら平行に裂くんだよ
それでも手首なんか選ぶのなら

まだ躊躇っているせいだ
あなたもう知っているんだ
血だまりの中になんか

死はない

逃げよう

卵の中に雛はいない
布の中に綿はない
文字の中に言葉はない
時計の中に永遠はない

言うよ

何度でも言う

善の中に善はない
悪の中に悪はない
心の中に愛はない
種の中に芽はない

言うよ

いくらでも言う

罪の中に罪はない
罰の中に罰はない
絶望の中に絶望はない
希望の中に希望はない

あなたの中に
なんかいない
あなたなんかいない
誰だってそう

わかってる
わかってる
うんざりするくらい
ぼくたちもうわかってんだ

カッターナイフの刃はやがて
試すうちに錆びてこぼれる
逃亡者の頬に七色の朝露
眠るように目覚めて知る
奇跡はいつでも起こっていた





『さいごの1日』

これきりもうあえないほうがいい
そう思ったほうがいい
循環する青の仕組みは崩れ落ちる
ふたりは光りながら重なって死ぬ

かき集めては残る
不足感だけが残った
巡らせては滞る
置き去りばかり滞った

ぼくたちをかたどる
世界が消えていくから
ぼくたちはいらないと言う
夜明けは輪郭と境界を消してゆく

ぬくもりを潰す
粘ついた血が床を這う
これでもう明日は始まらない
ふたりがそれを二度と望まなかったので





『生まれた島』

どこまでも青くて透明
海中にのびた砂浜はやわらか
裸足の裏で小さな砂丘が形を変える
重力から少し解放された世界で
新しいものに脅かされず
知らないものに侵掠されず
ただ少しのかなしい予感に浮かされていた

島に生える緑の深さ
どこにでも咲き誇る花の赤さ
降り注ぐ陽の明るさと影の黒さ
確かな血のつながりと永遠
神様はそこらじゅうに溶けていた
吸って吐く僕の息の中にも
投げ出した腕の内側にでも

とどめられず出て行く
どこからでも入ってくる
境界は心地よくあやふやだけれど
輪郭はいつも見誤らない
誓いながら刻んでいた
このなんでもない
ありふれたものを礎にして生きよう
あなたとすべてが溶けた景色

揺蕩う青の浮力
押し潰しも流しもしない
肌は波を感じ形はやがて馴染む
髪の毛の一本一本が揺れる
外の風にはできない繊細さで
きれいなものを見るとさみしい
なぜ存在してしまったの

予感はどこまでもつきまとう
そのたびに僕は逃げ込む
礎とした青い記憶のなか
今日といういつかのために蓄えたもののなかへ
液体は粘性を増してやがて押し出しれる
歌が聞こえる
細胞に吹き込まれる

あなたは存在してしまった

また誰かを孕ませることもない
目覚めるたびに何度でも生まれ落ちる
泣きながら目を開けてやむなく色彩を覚えてゆく
打ち上げられた砂浜でかじかんだ爪を立てる
さくさくと歩み寄ってくる足音
新しい僕の懐かしい存在理由が
頬と額に触れてくる
黙っていたって喚いてたって





『隠し扉のむこう』

でたらめのなかへ
ほんとうの愛を隠す
おずおず握手するみたいに
柔い毛糸を編むみたいに

あなたは遠い
なのでいつも忘れない
ぼくのまつげの先で
光りながら息をしているのだから

生まれたから死ぬ
わかっていても
生まれたかった
ずっとずっと夢だったんだ

いっしょに眠りに落ちて
べつべつの時間に目覚めるだとか
ものすごい喧嘩して
おやつひとつで仲直りだとか

こんなにこんがらがる前に
はなればなれになる前に
かすかになって消えちゃう前に
思えばもう一度会いたかったね

開いた手紙は戻らない
暮れた夕方は帰ってこない
同じに見えて過ぎ去り続けた
あなたはいつもぼくを見ていた





『よぞらはよぞら』

あなたにはわからない
うしなったものがない
あなたのものになろう
はじめてきえるものに

あなたはわらうだろう
ぼくらはわらうだろう
どちらかがなきだして
はだしのままゆくまで

がらすごしにみるよに
とうめいでさわれない
みえていてさわれない
それいがいなにもない

たくさんのぎんがたち
よぞらはいつもよぞら
よあけもよいもいない
いないんだほんとうは





『新しい靴』

あなたを忘れたくても
忘れられないひとがいる
おまえなんか地獄へ落ちろ
とそのひとはいう
私も一緒に落ちてやるから
と土に白髪頭擦り付けて
そのひとはいう





『夜に踊る』

風は怯えている
容易いと知る人が少ない
汚れた言葉で
人を傷つけるくらいは

緑は凪いでいる
向かうにあたってそびえる慢心
今は誰も知らない秘密の橋
かつて誰かが渡った逢魔が橋

ああ、なんてこと
あの猫はできないんだ
できないくせに渡り出した
横断歩道を渡り終えることが

それが僕の目の前でいま
ヘッドライトに照らされて
明滅する夜の光と
テールライトに命は驚き踊る

跳ねた雨粒
星屑にも劣る
求心力を欠いた
日々の営み

さよなら
も言えなかった夜へ
溶けていく猫の背中と後ろ肢
なぜ君までもが踏み出してゆくの





『僕たちはみんな』

僕たちはみんな
生きながら死んでゆく
誤字脱字を繰り返しながら
死んでゆく
予測変換に騙されながら
死んでゆく
あたたかいものに包まれながら
死んでゆく
つめたいものに憧れながら
死んでゆく
過ぎた昨日を夢に見ながら
明日をすでに後悔しながら
僕たちは一度だって
手を結んだことだってないのに
名前の由来なら知っている
雑踏のすり抜け方と角砂糖の数も