『夜のゆくえ』

耳先薄く凍る夜
懐かしい原色に照らされて
路上に破片が散り光っていた

えたいのしれない正体は
よくよく観察すれば月光の骸
歩き出した魚から落ちた鱗

逃げろ、さあ逃げろ
僕の目の届かないところ、
それでいて信じていられるところまで

信じていられるという点に関しては
言い換えれば予感だとか錯覚だとか
程度でいえばかろうじての程度だっていいから

さも明けないかに思えた夜が当然明けて
手に汗握る三面記事
どうやらゆくえは知られていない
疑惑さえ生まないまま

またも逃げおおせた!
泡ともならず
かの鱗の持ち主は!

昂揚はそのまま確かな引き金となって
椀から立ち昇る湯気越しに喫茶店で
架空と初詣へ行く約束をさえしたんだ

明けた朝は次なる真夜中へと続く
単なる廊下だと知りながら
それでも約束は約束だ
これにて所有者は入れ替えだ

生きていける
夜が夜のまま凍りつかず
何度この僕を裏切ろうと

信じて歩ける
ときどき笑って
ときには泣いて

あの夜に対して
凍りつくとしか感じようのなかった僕
振り仰げば気づいていただろうに
か細く反り返った美しい月に

晴れて人となれたのだ!

そう嘯いて回りたい
往来で叫びたい
あるいは個々に吹聴して羨望されたい

決してそうはしないおまえのかわりに
去ったおまえが落としていった鱗の一枚
それ以外は何もないポケットであそばせながら

僕の世界が早くおまえに飽きたらいいのに
忘れることは諦めた
だから飽きろと
そう念じるほどに月が丸くなる
新たな稚魚を一体孕んで
そうして呪いはまた注がれるというのに

僕以外
何もいない原色の路上へ
僕の周期的孤独以外
何もない世界の夜の真っただ中へ





『みちくさ』

朝は窓辺にあって
夕方にはくずかごに入れられている
毒づきながらも気品ある紫

まだ許されているね
生きる許可をもらえたみたい
どこだっていいよ、あなた
似合う居場所があるって悪くないこと

紫を残して家を出た
そういえば誰の家だったんだろう
鍵とか持ってないんだけど
それはそれでもういいかな

扉の外の空は高い
高くて高くてただ高いとしか形容できなくて
足りないことばかりでばかみたいだけど僕は知っている

青空と宇宙は直結しない
夜がともだちだ
いつからか化け物と呼ぶことにしている
僕のくずが見えなくなるんだ、夜が夜だと

影法師みたいなあれタチアオイというのだそうだ
初めて見たとき怖くて少し吐いた
名前を知ってからはそれほどでもなくなった
本当はまだ少し怖いから今のは少し嘘だけど

傷口が先になっちゃったね、順序
だけど間違ってるってわけじゃない
ちょっと思っただけもったいなかったかもなあって

呼びながら締め付けたい
奏でながら痣にしたい
皮膚がもう一度盛り上がって
白の強いとこがどんどん赤くなって
流れ出す血はでも思ったより少なくて罪を描くにまだ足りない

って知ってる?





『果ての花園の幻の恋人たち』

僕たちはどこででも探り合った
手首でも髪の束でも踝でも蔦みたいに

コップの縁に百群の光が走っており
君はそれでサーチライトを追憶する

暗号も呪文も持たない掌
皺と垢と皸と古い光ばかりが染みて
もう誰も描かず憧憬もしないに決まってる

だからって幸せになんかなりたくないし
なって欲しくもないと思っているよ
形に残るなんてまっぴらごめん

満ちたものは要らない
だから満月の夜はひたすら眠った
ふたりっきりで

それはたとえば菫をたくさん浮かべたバスタブだったりした
それはたとえば爆撃機が花弁を蹴散らす場所だったりした

愛に捕まるくらいなら世界でただひとり
君だけを嫌いになりたかったりもしたかったな

また無駄だったね。
お互いを好きなまんまで何度目かのばいばいだね。
僕たちは起源し続ける。
憎しみを知れないまんま、飽きないまんまで。





『花だより』

忘れたくなかった
潮騒ばかりの部屋にいながら
ちょっとずつ、ちょっとずつだなんて

調律はまぼろしのまま覚えた
そのころ
彼岸はネオンで賑やかに瞬いていた
今だってきれいにしか見えない

僕は機会を損なったのだと
憐憫と慈悲が上手に混合された
あまぬるい声が定義づける
づけてゆく
痕跡と微笑を降らせてゆく

けれど僕は属さない
誓って

客足が途絶え
ようやくさわることができた
濃淡の乏しい町から届いた手紙
これに触れるといつも
血の通った手を握るような心地がする

どう隠されたって分かったこと
封を切る前から知っていること
ほんとうは声として聞きたかった
音として受け止めたかった

だけど愛したやわらかな唇
今は花弁を落とさないためにただ寡黙
僕が逸したものを受け止めた肢体
珊瑚に似たあばら骨

語ればその存在は失せる
継ぐことを望めば二度と現れてくれない
一度っきりの世界
輪廻のやりかたも知らないだろう

もうなぞなぞはやめようと言って
解かれるのを待つ暗号はいやだと泣いて
秘密のままでも殺さないで抱き締めてって
いつまでもみずみずしい棘だらけの皮膚と皮膚

誓って
忘れたら許されない
言って
鍵は持ってないと
咥える花
それはとっくに朽ちてる

いま呼んでいいのは僕の記号だけ
禁忌は潮騒が匿う
だからすべてもうだいじょうぶ
目蓋の裏を覆う布は無いんだ





『thin sick』

だから言ったんだよ
まだ誰か責めていたいよ
おとなになったくらいで変わんないよ

今だって透明になりたいし
言葉以外でおしゃべりしていたい
秘密を奪ったくらいで浮かれないでよ

剥ぎながらまとっていく
器用と嘘やらときどきあまい
行ったこともない異国の空を懐かしがるよ
制止振り切りいついつまでも





『ハイツ・サイハテ』

朦朧としながらも与える敵意だけは損なわないよう力を込めて睨めつけていた。
何かや誰かに対して抗うことが唯一の名前だったゆえに。

真昼の倦怠はなかなか夕凪を連れてこないからじれったくて、
きらいなものの理由を雑多に並べ続ければ優越と時が満ちる。

育てきらず死なせた魚の入っていた水槽がいま光を正しく分散させ、
部屋じゅうがピカピカに光って本当しようがない。

ぼくのパーソナルスペースその境界線は星の裏まであるんじゃないって、
土足で踏みこんでから靴を脱いだそいつは宇宙の話とか始めたっけ。
ぼくをさ、遠いところからきたさ、みなしごとか迷子みたいに扱ったっけ。

今日に限って何も考えていないつもりだったけどむしろ逆だったんだろう。

きっとすべてを同時に考えていた。
すべての色がまじって透明になった地点から、
ぼくはまるで新しく知るようにすでに知っているすべて思い出してた。

ぼくが睨むとそいつは笑う。
鬱陶しくて、それ以上に怖かった。

定点は知った。
この世界に、美しくなくても、眺め飽きないものがあるってことを。
足りないくらい。
認めざるをえないくらい明白に。

おまえはいつもやや愚かしい。
少しだけ愉しそうに見えているせいだろうか。
ぼくが風邪だといって。ぼくも人の子だといって。ばかですね。

うるさがるが効き目はない。
暴言や無関心に怯むことなく、うわごともえそらごとも捧げる。
かけらだったことを意識させられ、おまえはぼくで完成する。

ひとりは飽きたな。
禁句は唇からガーゼに乗り移らせる。
だって他に知らない。

深く深く吸い込まれたら永遠に宇宙の果てで塵となれと泣く。
めぐりめぐって忘れたころにまた花となれまた鳥と鳴けとこの手から手離す。





『borderless』

名前はない
湿原を吹く風に
呼吸をしていても

音は残っていないのに
いつまでも覚えている
水平線と平行な堤防のうえ
遠近法を使った遊戯の途中

わからないことばかりで
指は間違いなくそろっていて
秘密を晒してばかりいた

このいまをみとめ
この日のぼくをわかりながら

今だっておなじだ
背かない
終わりさえあるなら

いつだっておなじだった
きみのつま先がそっと隠した
名前のない境界線のせいで、いつまでだって





『死にもの狂いで夜は』

死にもの狂いで夜は
きみから星を取り返そうとするだろう
臍に星雲を抱え込んだまま
つぼみの形を崩さない幼い寝姿

きみは夢を見るだろう
ぼくの夢に見られるだろう
数えきれない神経が
そのとき別の場所で星座と呼ばれるだろう

言葉はいけないね
だけど言葉だけがあるんだね
それを意味するものがわかる
それが意味するところがわかる

夥しさに怯えて静かに発狂したひとびと
聖なるとたたえられて穏やかに殺められたひとびと
言葉で命は奪える
影も重さもない、そんなもので

星を抱え込むことはしあわせではない、あまり
外側から見て淡くやわらかな発光が
きみの臓器を抉って破壊を続ける
だけど塵にはなれないまま、ならないまま

消えないことを選んだきみを
ぼくは疑ったりしないよ
きみはすでに答えだもの
問いに還ることは二度とはないもの





『あたらしいまやかし』

楽園じみたソーダゼリーや
砂糖に漬かった花びらよりも
きみの幸せがいちばんに好き

ぼくはぼくを見ることができない
だからふたりは一緒にいない

あの日にいらないと言った幸せが
いつの間にか生まれ変わって
なにより幸せな生き物になった
欲しがったことなんかない

こんなにも成立している
きみの佇まいと周囲とは
ただしく構成されている
粗悪ささえ兼ねて

気づかれたくない
こんなに美しい季節に
気づかせはしない
黙って醜くもなろう

ぼくはひどく安心だ
きみの世界にぼくがいないと
ぼくはひどく穏やかだ
そこに含まれない自由に包まれて

水は光をまとって跳ねる
ちょうちょは追いかけっこ
音はみどりに染まって弾け
花はつかの間を舞い続ける

えいえんと一瞬のあいだ
ぼくときみのあいだを
えんえん、えんえんと笑っていて
それは学んだどのまやかしより優しい





おびただしい数の丸が集まって液体になる
その中で溺れて死んでいく感覚を妄想すること
止められても忘れないでいたいと思う
いつまでもいつまでも
硝子瓶の底にも蜘蛛は巣を張る
逃したくないと思っていたいんだ
懐かしさを共有できるひとが少しずつ別の場所へ行って
まるで真新しいもののように迎え入れる世界へ踏み込んだとしても
胸や頭の中で鳴り続ける例の音のように
笑われたってしようのない痙攣のように
奪われたら発狂するくらいかけがえをなくしていきたい
昼の彼方で静まり返ってすべてを内包するあの夜や
そこからわずか零れ落ちてこの掌に落ちるしかなかったきみの不幸も