転 校 生




 1

 グリンチェスタ学院にひとりの転校生がやってきたのは、季節はずれの雪が降ったうららかな春の日のこと。早くは緑が芽吹いた梢もちらほらある中、製作過程の風景画に天がぽつんぽつんと落とされた白い雪を見て生徒たちは「悪いことが起こる前兆だ」と冗談を云い合った。

 転校生の名はルミナス・クレイン。
 薄い色の瞳は理知的だが、手の爪を噛む癖が残っていた。

 新しい学級でルミナスは異様なまでの歓迎を受けた。休み時間に入るや否や同級生たちはルミナスの机の周囲にわっと集まり、彼に数々の質問を浴びせた。ルミナスは事務的な口調で質問に回答していたが、自分の出身地と、この学校へ来るまでの生活については決して語ろうとしなかった。だがその他の質問にはほとんどすべて回答した。同級生たちは仲間になった新しい少年の落ち着いた雰囲気や素っ気ない態度などにかえって魅力を感じ、始業の鐘が鳴るまでは傍を離れなかった。
 このような光景はしばらく続いた。当人が努力しているわけではないのだが持前のカリスマ性でルミナスはすっかり学級の人気者となり、その存在は学院中の知られるところとなった。彼が自分の素性について多くを語らないというところも、かえって彼の神秘性を高めた。また、彼が何かひどく思いつめたような表情で教室の後ろの空席をじっと見つめている時など、彼には霊感がある、だのと噂された。
 しかし同級生のうちでも何人かはそういった光景をおもしろくなさそうに遠くから眺めているだけだった。たとえば学級委員長のベスはいつもは読書に夢中になるのだがルミナスの行くところなすところ監視するような目つきをそっと作り、また、不良グループのイリアムなどは窓辺に寄り掛かってあからさまな視線を投げかけた。
(どうやらこの二人が権力者らしい)。
 ルミナスの見解だ。
 数日でも過ごせば、一見何事もなく平等な学級の中に階級意識というものがしっかり芽生えており、同級生の誰もがベスかイリアム、もしくは両方からの支配を受けていることがよく分かる。
 学級委員長のベスと不良のイリアム。
 一見まったく相容れないようなポジションにありながら時には言葉でなく目や記号で合図し合ったりした。例えば午後の授業でイリアムがうっかり居眠りしていたような時に教師が彼を指名したとする。すると後ろの席のベスが決まってその背に指で何か書き示す。ルミナスはベスの隣に座ってそれが何かを確かめようとしたが知らない記号だった。きっとお互いにしか分からないのだろう。それでいて二人は二人でいることを自身で良しとしないようだった。授業の席も決して隣同士には座らないし、休み時間に一緒にいるところを見たこともない。しかしルミナスはこの二人がどうしても繋がっていることを感じないわけにはいかなかった。

「おい、きみ。この学級は本当は仲が悪いのか。まるで素人の作った懐中時計みたくぎくしゃくとしているじゃないか。でなければ子供が操るマリオネットの間節だ」
 ある日の食事中、ルミナスが思い切ったふうを装って唐突に切り出すと、たまたま食卓で前に座っていた、気弱そうな小太りの少年は左右に目配せするような仕草をした後「そんなことはない」とでも云いたげに首を横に振り否定した。しかしすぐに、話そうか話さまいか本当は迷っているんだ、というふうに黒色のリボンをいじる。ルミナスはべつに不審そうな顔もせずいったん目を落とす。
 悟られるようなヘマはしないが、その日食卓で前に座っていたというのも実は偶然を装ってすべて計算の内だ。
 転入して以来の観察でルミナスは学級全員の癖を見抜いている。目の前の少年にとってリボンを手でいじることは前言を撤回する前兆だった。それなのでルミナスはこいつは思惑通りだと確信し、次からはひたすら興味を失ったふうに、夕食のスープをもくもくと口に運んだ。ただし、スプーンの柄近くを執拗に舐めたり、わざとテーブルにこぼした飲み物を直接に舌ですくって見せ、その途中で目線を絡ませたりした。
 やがて小太りの少年が我慢しきれなくなり体をむずむず動かしながらペーパーナプキンにペンを走らせ、
「温室で、待っているから」
 メッセージを手渡し立ち上がった。
 残されたルミナスは了解の意を込めてただ微笑んだ。


 2

 故意に倍以上の時間をかけて食事を終えたルミナスが指定された場所へ行ってみると、さきほどの少年は石の上に項垂れて腰かけ、脚の間で懸命に両手を動かしていた。が、後方にルミナスの気配を察知すると青ざめた顔をぱっと上げ、咄嗟に手元を隠した。
「何をしていた」
「き、きみには関係ない。随分遅かったじゃないか」
「時間の指定まではしていなかったろ。それより、見せてみろよ。おれが来るまで何をしていたんだ、え」
「何もしていないったら」
 彼はいつもおどおどしているので学級メイトの誰からでも「くるみ割り」と呼ばれていた。
「どうせ手を汚していたんだろう」
 くるみ割りの顔面がさっと赤くなるのをルミナスはせせら笑った。
「観念しろよ、え、聾唖のふりをしたお前がちゃんと喋れるってことを見抜いたのも、転校生のおれくらいだろう。ほら、何をしていたんだ?」
「か、関係ないって、云っているだろ」
 そうは云ってもくるみ割りの声は緊張で上擦っていた。ルミナスは軽蔑したように、ふん、と鼻で笑い、それ以上の追及をしなかった。
「そ、それより、誰にも尾行されていなかったか」
 くるみ割りは温室の扉から顔を出し、周囲に人がいないのを入念に確かめると閉め、ルミナスをさらに奥へと招いた。ポケットに両手を突っ込んだままルミナスは素直に従う。
「おい、くるみ割り。ずいぶん心配症なんだ、きみは」
 からかうようにルミナスが云うと、くるみ割りの耳が後ろからでも分かるくらいに赤く染まった。ルミナスはその様子をいつまでも見ておらずに温室の天井を仰いだ。
「時に、ルミナス。きみはなんだってこんな時期に転校してきたんだい」
「転校生はいつだって唐突だ。おれに限ったことじゃないだろう」
「そうか」
「そうさ。それにしたって学級の、いや、この学院の歓迎ぶりときちゃ。まるで機嫌を損ねちゃ大変まずいことになる王妃を扱うように至極ご丁寧に扱うんだな。驚いた」
 ルミナスは鉢植えの薔薇の蕾のひとつを手に取った。赤子の頬のように柔らかなそれをルミナスはしばらく弄り転がした。
 くるみ割りが小さな目を不満げに細めてその指先の動きを見つめている。
「ルミナス。きみは勉強もできるし格好も良い。ぼくとは正反対だ。きみのような転校生をみんなが歓迎するのはいつも当然のことだよ」
「いつも?」
「い、いや。だから、その、いつもっていうのは」
「何を急に慌てているんだよ」
 ルミナスが一歩踏み出すとくるみ割りは二歩後ずさった。
 眩む視界、くるみ割りを取り囲んでいる光の具合が、ルミナスの瞳を人体にそぐわない色合いに見せた。 ルミナスが二歩踏み出すとくるみ割りがもう二歩後ずさる。それを繰り返しとうとうくるみ割りが脚元の鉢に躓いて後ろへひっくり返ったのでルミナスは莫迦にしたように笑った。教室の中では決して見せることのないその表情にくるみ割りは体がかっと熱くなるのを感じた。
「お前たちは何を隠しているんだ」
 ルミナスに詰め寄られたくるみ割りは咄嗟に悲鳴を上げた。車輪の下敷きになった蟇蛙が最期に上げるような悲鳴を。
「お前のして欲しいことを何だってしてやる」
「な、何もない」
「つまらない時間稼ぎで愉しむのはよせよ、おい。おれが来るのを待ち切れなかったくせに。そうだろ、え? おれより前にも転校生が来ただろう。ライバー村出身の、小さな子だ」
「コクーン、」
「そう、コクーンのことだ。彼に何があった」
 壁際に追い詰められたくるみ割りが体をこわばらせたが、それが、彼がこの状況に恐怖を感じているからではないと感づいたルミナスは苛立つ気持ちを抑えながらくるみ割りの望むようにした。
「どうしてきみがコクーンを知っている」
「おれの質問に答えろ」
「コクーンは、おとなしい子だった。かわいかったけれど、きみみたいな華やかさがなかったから、転校生といえども人気者になれず、いつもひとりぼっちだった。休み時間になっても彼は外へ行かず、教室に残って手紙を書いていた。ぼくにも笑い掛けてくれたよ」
「訊かれたこと以外を喋るな」
「だから、コクーンは、気づいてしまったんだよ」
「何に」
「ベスとイリアムが仲の良いことに。その、友人以上の意味で」
「それで」
「以前この学院で、そういうことが発覚した生徒が放校処分になるという事件があったんだ。コクーンが転校してくるほんの数日前くらいの出来事さ。事件は誰の記憶にも鮮やかで、ベスとイリアムにしたって例外じゃない、彼等はコクーンがいつか自分たちのことを口外するのじゃないかと案じた。特にベスの一家は、ルミナスも知っているだろうが、父親が有名な議員で、その長男であるベスの話題は父親の名誉に響くんだ。イリアムは自分が放校になることより、むしろそのことを心配した」
「で、お前までどうしてベスとイリアムのことを知っているんだ」
「見張り役をさせられていたんだ」
「見張り」
「二人はしょっちゅうこの温室で密会した」
「なるほど。聾唖のお前じゃ口外しようもないからな。適役だ」
「でもコクーンは聾唖じゃない。そのうえ未知の転校生で、よそ者で、もとよりどの派閥にも属さず、それゆえに支配しづらかったんだ。それで、どうにかして支配しようと思った。しかしあからさまなことはできないから、まったく別の名目で、彼等はゲームを始めたんだ」
「ゲーム?」
 その時、温室のむこうから誰かの声が近づいてくる。慌てて立ち上がろうとしたくるみ割りの上体を足で押し倒し、ルミナスは一緒に身をかがめた。
「しっ。声を出すなよ。出せば本当に喉を潰してやる」
 温室へ入ってきたのは学級委員のベスと、不良のイリアム。ルミナスとくるみ割りが物陰で息をひそめていることになど気づかず、何事か短く会話をした後、時間をずらして出て行くことにしたらしい。別れ際にイリアムがぞんざいな手つきでベスの腕を引いてキスをした。驚いたベスが体を押しやるので拒絶するのかと思いきや、邪魔になる眼鏡をはずしただけで、今度はもう一度自分から顔を寄せた。
「ほら、ルミナスも見ただろう。ぼくの作り話でないことは分かってくれるよね」
「黙らないと殺すぞ」
 自慢そうなくるみ割りの顔面にルミナスは靴の裏を押し当てた。
 ベスが去ってからもイリアムはしばらく煙草を吸っていたので、ルミナスとくるみ割りはいつまでも息をひそめていなくてはならなかった。もっとも、くるみ割りの喉仏にはルミナスの靴の踵がずっと押し当てられていたのだが。
 ついにイリアムまで温室を出て行くとルミナスは立ち上がり、もうすっかり自分の虜になっているくるみ割りのことを冷たく見下ろし、
「見張り役はさぞ楽しかったろうな、くるみ割り。お前は他人に低当な扱いを受けることにより快楽を得るんだ」
「か、勝手なことを云うな」
「どうかな。否定するなら下を脱いで見せろ、ほら。早くしろよ」
「そ、そんな」
 不利な自分をくるみ割りは自覚した。有無を云わさぬ視線に促されるようにしてベルトに手をかけると、
「冗談に決まってるだろ。見たくもない」
「きみってやつは、ルミナス、悪魔のようなやつだな」
「ほざけ。……よし、これでだいたい分かったぜ」
 土のこぼれてしまった鉢を立て直していたくるみ割りはぎこちなく顔を上げ、何が、と問いたそうにした。
 彼がそうして見るも無残な愚鈍さを演じ、甘美な香りのする秘密の暴行を受けたがっていることは明らかだったが、ルミナスはそれを無視する。
 温室の中は花の香りでむせ返っている。


 3

 ルミナスは常に冷静だった。
 時に級友と莫迦をして年相応にはしゃぐようなこともあったが、そういった時でさえ彼の芯の部分、心の核の部分は同じ温度を保っており、感情に任せて笑ったり泣いたりなどしなかった。彼にはこのグリンチェスタ学院においてどうしても果たさなければならない目的があり、それをたち成しない内は決して感情的に動くわけにはいかなかったのだ。
 語るルミナスは博識で、人間関係も器用だった。一歩離れた場所から全体を見ることも忘れない。
 ルミナスは学級の中に見えずとも存在する階級のうち、下層にある者から順番に話を聞いていった。くるみ割りにそうしたように。一見よくまとまって何の問題もないかに見える集団にも何かしらほころびがある。それが数十名の集団となれば尚更だ。ことさら平和を装うのは逆の姿を隠したいがためだ。
 夜になるとルミナスはその日聞いた話や出来事をすべてノートに記していった。同室の少年が起きてきて不思議そうな顔をするとルミナスは「手紙だよ。故郷の家族へ送るんだ」とにっこり微笑んだ。奇妙なもので、ルミナスの言葉にはいつも説得力があった。何やら不審に感じていた同室の少年もその内あれは本当に家族に宛てた手紙なのだと思い込んでしまい、夜中にルミナスが紙に何かを書き付けておろうがまったく気にならなくなった。
 このようだからルミナスが学級の中でも一目置かれた存在になることには支障がなかった。弱いものを一人ずつ味方につけていったルミナスはやがて学級の中で誰よりも強力な少年となった。ベスとイリアムは干渉してこなかったが、ルミナスに対してはやたらそわそわしたり、必要以上に接触しまいと意識するがゆえにかえって無関心を装ったりした。と云うとまるで彼等が一言も会話しないかのようだが、ルミナスとベスとイリアムは今では一番の仲良しだった。三人集まって一冊の本を囲んだり、三人にしか分からない暗号を考えたりして遊んだ。そうしながらもルミナスは下層の生徒と話をすることも忘れなかった。ただしそれはベスやイリアムに知られないように行った。


 4

 十二月の初め。体育の後の古典の授業は睡魔との闘いだ。教授の監視時に踏む床のぎしぎし鳴るのや不明瞭な話声、生徒たちがすべらせるペン先のカリカリするのや紙をめくるぱらぱらといった音のどれもが睡魔の手先となって少年たちを机に突っ伏せんと企んでいた。
「雪だ」
 その時誰かの小さな呟き声が教室中の生徒の目を覚まさせた。
 あっと窓の外を見るとこの冬初めての雪だ。年老いた教授は気づいていないようで授業を続行している。
 他の少年たち同様にルミナスもまた白雪のほうに気を取られていた。
 その瞳の奥には小さな笑顔が柔らかく浮かんでいた。
 ぼんやりとしていた輪郭が次第にはっきりと形を持ってきて、ひとりの少年の姿となった。優しい眼差しは瞬きをする度に潤いに光って、手を伸ばせばすぐにでも届きそうなそれは幻だった。
 少年はルミナスを振り向くと嬉しそうに彼の名を呼んで、
「ルミナス、元気?」
 話し掛けてきた。

「やあ、コクーン。本当に久しぶりだね……本当に、」
『手紙をありがとう。新しい学校に来て二週間になるけどぼくはまだ学級に打ち解けられないでいるよ。新しい場所って不安だね。街の子はみんな洗練されていて、大人びて見えるんだ。ぼくももっと積極的にならなくては駄目だよね』
「きみは優しくて控え目なところが良いところなんだから。積極的なコクーンなんか、想像つかないしな。そのままのきみを分かってくれるひとが必ずいるさ、おれみたいに」
 雪の落ちてくる先を辿ったルミナスの目線は、空を覆う優しい灰色の塊に向けられた。
 その向こうに太陽があるように、自分の求めているものが、遠くてもちゃんとそこにあるのなら!
『でもね、ルミナス。今日ぼくに話し掛けてくれる人があったよ』
「それは良かったな」
『彼は学級委員長だよ。皆から一目置かれている。困ったことなどがあるといつも中心になれるタイプで、ルミナス、ぼくはなんだかきみのことを思い出すよ。きみはぼくたちの小さな村にはもったいないね』
「そうか。それはいつか会ってみたいな」
『ルミナス、そういえば、ぼくがあげた種はちゃんと植えてくれましたか。面倒くさがりなきみが、ちゃんと育ててくれていると良いんだけど』
「ああ、もうすぐ蕾が付く頃だ。せっかくコクーンがくれた種だから、頑張って育てているんだ」
『ほんとう? よかった。きみは、やさしいよね。人のことなんか気にならないような顔をしていながら、一番やさしいんだ』
「……コクーンだからだよ」
 ルミナスは、幼い幻に手を伸ばす自分の姿を遠い所から見ていた。
 コクーンはルミナスより体が小さい。彼が俯くとルミナスは背をかがめなくてはその表情を見ることができない。コクーンの胸元には黒いリボンが揺れている。前髪に鼻の先を寄せると懐かしい香りがした。
 コクーンの家のキッチンにこぼれている蜂蜜。
 琥珀色の影。
 いつのことだったろう、ルミナスは回想する。
 二人してこっそり食べようと手を伸ばし。思わず落としてしまった時。いつもは優しいコクーンのママが初めてコクーンを叱ったので、『びっくりしてしまったんだ』。それ以来コクーンは蜂蜜を嫌いになってしまった。あの色を見るたびに叱られた時のいやな思い出が蘇ってくる、そうは聞いてもルミナスにはコクーンが蜂蜜のように見えた。

「……コクーン」
『ルミナスの学校はそろそろ試験期間に入るね。こっちもです。ライバー村の教会で一緒に勉強できていたことが、いまではとても懐かしいです。神父様はお元気ですか。ルミナスのお父さんお母さんへも、ぼくが元気であることをお伝えください。でもこれからは一人でがんばらないとね。ルミナスを頼ってばかりはいられない。しばらくは手紙も控えようと思います』
「ああ。そうだな。おれたちは勉強をしなくては。じゃ、さよなら」
『うん、さよなら。ルミナス』
 以来、コクーンから手紙が届くことは稀になった。
 ルミナスはコクーンからの手紙を待って毎日郵便受けを覗いた。試験期間が終わってからも、見なれた筆跡の封筒は見当たらなかった。

 最後の手紙は、ルミナスがグリンチェスタへ転校を決意する数週間前のこと。
 淡い水色の封筒には、最近ようやく学校に慣れてきて楽しくなってきたという簡単な言葉と、最後に。

『だけどとてもさみしいよ。学校には慣れたけど、どうやらぼくはルミナスがいない毎日に慣れないみたいなんだ。雪が降ったら会いに行くね。きみに会いに、行くね』

 幻は消え、ルミナスの瞳は澄み渡った。
 コクーンがもうこの世のどこにもいないことを知ったのは、その手紙を受取って間もなくのことだった。

 コクーンのちいさな亡骸は故郷であるライバー村へと帰ってきた。
 コクーンの両親は離婚しており、父親に引き取られたコクーンは転校を余儀なくされた。
産まれたころから一緒だった幼なじみが初めてライバー村を出て行く旅立ちの日、ルミナスはコクーンにおいしい蜂蜜をプレゼントした。コクーンはルミナスに自分の大切にしていたペンを渡した。そのペンでルミナスは手紙を書いた。遠くにいるコクーンへ宛てて、何通も。何通も。何通も。距離こそ隔たれてしまったが、二人にとって文通とは楽しいものだった。幼馴染だというのに互いの文字を見なれていなかった二人は相手が案外と几帳面に端を揃えているのや、封筒の留め方、珍しい切手の絵などで小さく笑ったりもした。

 黒い葬列に混じり、大人たちが話している声をルミナスは聞く。
 直接教えてもらえなかったが、コクーンはどうやら自殺したらしい。
 学校側はそう説明している、とコクーンの母親は目を真っ赤にはらしてルミナスの母親に歎いた。
(そんなの嘘だ)。
 ポケットの中で最後の手紙をルミナスは握りしめる。
(冬になったらおれに会いにくるとコクーンは云ったんだ。何が、何が自殺なものか)。
 その時ルミナスの頭の中には一つの決断があった。
(グリンチェスタ学院へ行って、おれが真相を突き止めてやる)。


 5

 年の暮れ。
 昨夜の間に降り積もった雪は今年一番の高さに積もっていた。
「あっ」
 膝まである雪をかき分けグリンチェスタ学院の立派な門を出て行こうとする帰省組の生徒のひとりが何気なく振り返って指差した先には欄干の一か所で固まって話をしている数名の少年の姿があった。
「ベスにイリアム……それに、ルミナスもいる!」
 他の生徒も足を止めてその様子を見上げた。
 話声は聞こえてこないが、どうやらルミナスがベスとイリアムを欄干に追い詰めているようだ。
「あっ危ない」
 見学していたひとりが思わず顔を覆う。
 欄干の縁に立ちあがったベスとイリアムは両手を十字架のように広げて目をつむった。
 あの高さから落ちれば骨を折るだけでは済まないこともある。
 見学していた生徒の誰も、教師を呼びに行くなどということを思い付かなかった。一歩でも足を踏み出せばベスとイリアムの二人が落ちてしまうかのように、息をひそめて見守っている。
 一方ルミナスは手を動かしてもう少しぎりぎりに立つよう指示している。ベスとイリアムは手をつないで立ったので、どちらかが足を滑らせて落ちてしまえばもう片方も必然的に落下することは明らかだった。
 誰かが、コクーンの時と同じだ、と漏らした。
「しっ、やめろよ。あれは自殺だ、って」
「違う。自殺なんかじゃなかった」
 雪が、降り出した。
 少年たちは誰からともなく天を仰ぎ、コートの前をしっかりと合わせた。ある少年はマフラーに口元を埋め、しゃべらなかった。赤い手袋をしたくるみ割りが遠慮勝ちにぽつぽつと語り出す。周りの少年たちはくるみ割りがちゃんと喋るところを初めて見るので呆然となった。
「そうだ。あれを最初に云い出したのはベスだった。ある日イリアムがベスを中傷した。いくじなしの優等生、だの。虫の居所が悪かったんだろう、その言葉にベスが反応して、あのゲームが始まったんだ」
「ゲーム?」
 反応を示したのは他の学級の生徒だ。くるみ割りはさっきから俯きがちな同級生を見回し、幾分自信をつけたように声量を上げた。
「度胸試しだよ。誰が本当にいくじなしかっていう。後ろ向きで欄干の上に立ち、目をつむる。そして両手をこう広げるんだ」
 くるみ割りは話しながらそのしぐさを真似た。
「目をつむって立っているとね、軸がぐわんぐわんとしてきて、自分では直立しているつもりなのに重心が外へ外へと傾いていく」
 だけど、と聞き役少年が口を挟む。
「ゲームをしたのはベスとイリアムだったんだろう。コクーンは関係ない」
「確かに最初はベスとイリアムの対決だったよ。だけどそれを見ていた他の生徒、ベス派とイリアム派がね、自分たちも参戦するって云いだして。気づいたら学級が二つに分かれていたんだ。当時、転校生だったコクーンはまだ学級に打ち解けていない。どちらに属するつもりもないようで新しい遊びをはらはらしながら見守っていた。やがて学級の全員が度胸を示した。残るはコクーンのみ。コクーンは最後まで抵抗したが囃し立てられ、どうしてもやってみせなくてはならない状況になった。イリアムがコクーンの体を抱えて欄干に立たせた。小さい子だったからね、持ち上げるのは簡単だよ。ベスが時間を測った。雪が降り始め、もうやめよう、と云い出す者もないではなかったけれど、多数は彼等の話を聞かなかった。ベスやイリアムと一緒になって、コクーンがどれだけ持ちこたえるか見物に徹した。十数分くらい経ったかな。イリアムが、もういいこれまでだ、と云ったんだ。コクーンは安心して欄干から下りてこようとしたところで、誤って足を滑らせ、転落してしまった。即死だった」
「どうして誰も止めることができなかったんだ」
「どうしてって、それはね」
 くるみ割りが話す途中で誰かが小さな悲鳴を上げた。
 ベスの体が大きくよろめいたためだ。それを支えようとしたイリアムの体もバランスを崩し、二人は縋るものを探すような体の動きをした後で欄干から落ちた。
 門に立っていた数名の生徒は声一つ立てず、二人の少年が重力にひっぱられるがままにもつれるところを目撃した。
 落下した二人の体がどのようになったか、枯れ木が邪魔になって見えなかった。
「どうしてって、それはね。つまり、そのゲームというのが最初から仕組まれたものだったからさ」
 くるみ割りの声には何の感情も込められていなかった。物語の語り部のように淡々と発せられた。
 誰もがそれ以上の発言をしない。

 ある年の暮れ。
 グリンチェスタ学院の門の入口には、それこそ死体のように青ざめた小さな顔がいくつも並んでいるだけだった。


 6

「なあ、おい。大丈夫か?」
 ルミナスは欄干から身を乗り出すとベスとイリアムの姿を確認し雪原の太陽のごとく笑って、
「ゲームのふりをして消そうとしても、うまくいかないもんだな、そうだよな?」
 雪上のふたりは仰向けになったまま暫くぴくりともしなかった。
「ところでコクーンって子を知っているか。おれより前の転校生としてやってきただろう。彼、おれの大切な親友なんだ。もう長いこと会っていない。でも、ゆうべ夢に出てきた。おれはコクーンにこの計画の全貌を打ち明けた」
 うっすら目を開けたイリアムは逆光ではっきりしないルミナスの顔を見る。その体の向こうに天があって、白い雪がふるふる舞っている。太陽は隔てられて見ることが叶わなかった。空中で体をひねったため脚から落ちた。
 次第にはっきりとする痛みに手を当てるとその証拠に流血があたたかかった。
 再び空を仰ぐ。
 頬杖をついたルミナスの表情がいまはっきりと目に映った。
 彼は、泣いていた。
「おれは、雪解けの春を待っても良いって云ったんだ。固い地面に落としてやろう。だけどコクーンは、それはしていけないことだ、と……。だから、その雪は、コクーンなんだよ」
 目をつむったままのベスはルミナスの声を聞きながら自分の体の下の雪に触れた。
「その雪は、コクーンなんだ……」
 血よりもあたたかなものが目尻をつたった。
 もの云わぬやわらかな雪は二人の命を受け止め、まるく窪んでいた。


2008