死にたい夜には安らかだ。
あなたの毛布はとてもやさしい。
春に近づく冬は今年も無口。何も告げず家なしの命を奪うように、何も告げずまたこの国を去って行く。 コインランドリーへ行って来る、と云い残したきりなかなか戻らない。確かめると案の定、洗濯物は脱衣所のカゴに忘れている。何をしているんだろう、ぼくはあなたを迎えに行こう。




天 空 、 北 の ア ル デ バ ラ ン




ゆるい襟から逃げないよう長いマフラーに堰き止めさせる。体温は首筋に停滞する。口ずさむ歌もないままに、夜のコインランドリー。 人気はないが灯りだけ煌々としている。一通り見回した後で中央の椅子に腰をかけると、ちょうど目が合う。しばらくそのまま眺めていた。 子宮の心地よさにいつまでも居残りたい赤ん坊みたいだ。あるいは、産まれ損ない。ぼくの視線にあなたが気付いて少し身動きした。 ばかばかしくて笑ってしまう。
「何をやっているんですか」
それは正当な第一声だったと思う。閉じこもったあなたには届くはずもない。ぼくは子どもの夢を壊すようにその取っ手を強く手前に引いた。どれくらいそうしていたのだろう。訊ねる気にもならない。同じ台詞を繰り返す。
「何やってんですか」
「よお。おまえ何してんだ」
「いや、あなたが」
異世界に繋がっていなかったかぼくは奥を覗き込む。その隙に地に足を下ろしたジロさんが茎のように背をそらせて何ともない顔で笑う。夏のひまわりみたいだ。金色に染めた髪が、首を鳴らす度に揺れた。背が高いので見上げる。よくもこんな長身を詰めたものだと思う。
「どうしてここが分かったの」
「そう云って出て行ったんじゃないですか」
異世界に繋がっていなかったかもう一度確かめる。ジロさんの声を聞いたら涙がにじんだ。見たいものなどないから視力が低下しても構わない。でもその声は忘れたくないです、きこえない耳にはなりたくないです、「おまえが云うんならそうだったのかな」、何ともない顔で笑うのはいつもあなたで、何ともない顔で笑えもしないぼくはいつも愚かだ。迎えになんて来なければ良かった。こんな夜を繰り返して、何が紡がれると云うんだろう。呼吸する肺も同じ。そんな機能を働かせて、何が紡がれるだろう。
とても、いたい。
俯いてその理由が分かった。ぼくは裸足だった。

死にたい夜には安らかだ。

ふたりの毛布はとてもやさしい。何がつめたくて何があたたかいのか知っているのは裸だけだ。体の奥ほどもっと詳しい。神経が何も逃さない。感じる度に、勿体ないことなのだと分かっている。とても贅沢だと分かっている。だから何も欲しがらない。望むのなんてばかげている。これ以上なんてどこにもない。ところでぼくには目がない。ぼくにはいつか耳もない。やがて肌だけに任せて温度だけ信じる。死にたいの四文字が信号機の青のようにやさしくなったのはいつからだろう。人は決まって赤だと云う。だけどぼくには青と映る。白い梯子をのぼっていってもいいか。どこへ繋がっているかは分からないけれど、そこだけ陽気な思考において、靴だけ部屋に残して、のぼっていくことを許せ。
「もう眠れるか」
「まだです」
この部屋にいれば何だって手に入る。
「どうしたら寝てくれる。このまま朝になっちまう。子守歌は歌えないしな。おれだって知らないし」
天空、北のアルデバラン。
「そんなに困らなくても。ジロさんが寝たらぼくも寝ます」
それだって手に入る。
おやすみって云い合って、夢に落ちれば。

豪雪を伝えるニュースばかり流れるテレビの電源もオンのまま、与えられた靴下のありかも忘れて裸足でコインランドリーへ向かう。あの日はばらばらになった手脚が回っていただけで、ぼくの目は涙さえ流さなかった。ばらばらになった手脚が回っていただけで、その音だけが耳の奥を占めている。ばらばらになった手脚の中央にアルデバランが見えたよ。牡牛座の首星、光度0.8度の瞬き。赤が青に見える。だけどあなたはやさしいから、狭い箱の中に自らの発育の良い体を詰めてくれるのだね。あなたはやさしいから、ぽっかり口を開けた空洞の奥へぼくがそのまま落ちて行って二度と這い上がることのできないような事態を危ぶんで、ぼくのために演技してくれるのだね。一月の深夜に限定された、ぼくの悪い癖。街中のコインランドリーを片っ端から開けて行く。そこには何もなかったって、でも明日はあるかも知れないって、そんな妄想の身代わりになって、あなたがいてくれる。

死にたい夜には安らかだ。

だけどここもまだあたたかい気がして居残っている。目覚めてもあなたの体温に寄り添っている。あなたがぼくに寄り添っている。ちゃんとした心臓はこういう音を立てるのか。胴体に繋がった手脚がこんなにも気持ちいいものだなんて。
うまく云えますように。
「ぼくが犯人です」。
深夜のコインランドリーで立ち竦む子ども、通りかかったコンビニの店員、見つけて黙って抱きしめて、一度だって事件について問わず得体の知れないぼくのことでもこの夜まであたためている。ねえ、こんなにもやさしいひとです。出会ってから一ヶ月。あなたが寝たら自白します。
「おやすみなさい」

060112