きみに嘘を吐けばどこからでも膿む。




ぼ く た ち の お わ り か た 劇 場




(開演、内装説明)


瞳の中を雨垂れが過ぎる。さらさらと過ぎる。灰色のきみは膝を抱えてさも冷たそうにしている。
この部屋は二月になっても暖房器具が揃わない。でもそれがすきでしゃべったり笑ったりしながらここにいる。
この部屋の名は劇場。
横一列に並べた七つの林檎にもそれなりに意味はある。一日目の林檎、二日目の林檎、三日目の林檎、四日目の林檎、五日目の林檎、六日目の林檎、そして今朝ちぎってきた林檎。灰色のツバメノはうっとりとながめている。「ほら見て、腐ってきた」。だけどなかなか思うようにはいかないね、たまに二日目の林檎よりも五日目の林檎の方がずっと醜かったりするからさ。


(第一幕、うるわしきスキャンダルについて)


劇場の隅、埃が溜まった所には気まぐれな肉球の跡。小さくて不規則、だからあれはスキャンダルに違いない。特定の飼い主を持たないあの猫は賢くてきれいだ。誰もあの猫のようになれない。人は誰一人としてあの黒い雑種にはなれない。行きたいところへは行けない。会いたい人には会えない。ただそれはとりたてて悲観するほど希有な例でなく、そんな海に溺れていたのはきみだけではないはずだ。
ツバメノは何度もあくびをする。でも寝ない。抗うことを楽しんでいる。
「生まれ変わったらこれになりたい」
ときみが笑う。これ、とはつまりスキャンダルのこと。
「ねえアマミヤ。アマミヤはどう」
ときみが笑う。どう、とはつまりぼくは質問されている。
ぼくは、きみになりたい。
ツバメノ、早くぼくをきみへ戻してくれよ。


(第二幕、詐欺師と魔術師の例)


劇場は必ずしも毎日が「ふたりプラスときどき黒猫」ってわけじゃない。蝋燭の火のように現れるのは二人の詐欺師とその手下、十人の魔術師。彼らの姿は酷似しているが一人一人の働きは異なる。約束を結ぶやつ。人を指すやつ。ページをめくるやつ。ファッキンを表すやつ。でも結局は揃っていないと何かと不便だ。だが要注意。全員器用なこの集団、ある夜とつぜんツバメノを襲うことがある。こいつらはぼくのセンサーを意に介さず端から強行突破を決してツバメノの持つ無数のゲートを叩き割っていく。憧憬のゲート、後悔のゲート、希望のゲート。ツバメノの維持にぼくは不可欠だ。だけども灰色した今のツバメノにぼくの存在の居場所はない。ツバメノは自分の姿になぞらえながら七つの林檎だけ見ている。


(第三幕、迷彩柄の参謀)


他にもいる。例えば参謀。名前は知らない。詐欺師や魔術師に比べればずっと分かりやすいが苦手な相手だ。柄は迷彩。それは生まれつきなのか後天的なものなのか、求めれば説明ぐらいしてくれるだろうがぼくの理解能力は参謀のそれをはるかに下回る。ぼくはシンプルな奉仕にしか適していない。それはツバメノを守ること。
「暇だ。今日もやることねえよ」
ぼくの隣に腰を下ろした参謀が退屈そうな溜め息を吐きながら煙草に火を点けた。
ツバメノは頬杖をついてぼくたちを見ている。灰色の瞳にはこの部屋の情景がありありと映し出される。
「どうしておれを蔑ろにするかなあ、こいつは」
火の点いた煙草をツバメノの顔に近づける。ぼくは慌てて遮った。
「やめろよ、熱いだろ」
「ははは、だいじょうぶだって。だってお前とこいつ今ばらばらじゃん。何も感じねえよ。なあツバメノちゃん」
ぼくは言葉に詰まる。
ツバメノは何も云ってはくれない。
時々うっとりと瞬きをするくらいで。
ツバメノと一緒にいる時は参謀も悪いやつじゃない。それどころかぼくを助けてくれるくらいだ。危険な場所を察知したり、過去の失敗を記憶していたり。だけど一端ツバメノから閉め出されてしまうとこの有り様。
いれもののない中身みたいになる。
際限なく。
「でも、跡、残るから」、ようやく紡いだ言葉も参謀に笑い飛ばされる。
「今、お前くらいだぜ、そんなの。魔術師連中はとっくに団結して背いたのに」
「ぼくはツバメノが産まれた瞬間から一緒だったんだ。ツバメノが階段から落ちた時。ツバメノが転んだ時。ツバメノが暴力をふるわれた時。ずっとぼくがツバメノがおわらないよう守ったんだ。最後までツバメノを守れるのはぼくだけなんだ。脆くて誤魔化しも上手なあんたには一生分かんないだろうけど」
「分かってないのはお前の方なんじゃねえの。ツバメノは守られることなんか望んでないかも知れない」
参謀の言い分は、正しいとまで云わなくとも間違いとは云い切れない。
「だいたい、アマミヤ、お前がいちばん邪魔なのかも知れないぜ。おれの経験も交えてコメントさせていただけば、お前さえいなけりゃ確実に楽におわらせることができるんだからな」
「莫迦なこと云うな。ツバメノがそんなこと考えるもんか。もしも考えることがあったとすれば、それはツバメノの意思じゃない。誰かがそう考えざるを得ない状況にツバメノを陥れたんだ。悪意のある罠だ。そんな罠には引っ掛からないぞ」
「ふうん、莫迦、ねえ。外的要因が何であれツバメノの感じたことはツバメノの意思としてとらえた方がややこしくないんじゃないのかねえ。本当の莫迦はどっちだろうな」
「どういう意味」
「言葉どおり」
参謀は吸いかけの煙草を床の上で揉み消した。立ち上がると背伸びをする。
「さて、おれはどうしようかな。ツバメノから完全に閉め出されちゃったし帰る場所ねえや。しばらくここで待っていようと思うがよろしいかな、アマミヤくん」
「すきにしろよ。どうせ他に行く場所なんかないだろ」
ご名答、ご名答、と参謀は朗らかに笑った。


(第四幕、面紗の子ども)


ぼくと参謀がしりとりをして遊んでいると(この状況が何よりもミステリーだ!)、面紗の子どもが現れた。この子がいちばんツバメノに似ている。弱くてやさしい。それに同じ灰色だ。
「お、不自然に和気藹々としたこの雰囲気につられて来たな。よし、お前もしりとりするか」
この子には参謀もやさしい。
「する」、子どもはいきなりぼくと参謀の間に割り込んできた。
「じゃあおれからな。りんご」と参謀。さっきまで難しい単語ばかりだったくせに面紗の子どもが来た途端こうだ。この子のツバメノみたいなところが気に入っているんだろう。
人の間に割り込むことが癖で、いつも誰かを信用していて、裏切られるまで慕い続ける。あまりにもまっすぐなものだから周りはツバメノのあんまりひたむきな純情を恐れるか、あるいは悪用してやろうと考えてしまうんだ。
そういうところも人間とスキャンダルとの違いだ。
なんて考えていたらいつの間にかスキャンダルが部屋に戻っていた。わざわざ雨が降る時に出かけて、陽が射したら戻って来た。どこにいたんだろう。浮気者。

「ごご」と面紗の子ども。
「午後か。ええと、じゃあ、ごみ」とぼく。
「ごみとはお前のこったな。みじんこ」と参謀。
「アマミヤはごみじゃないよ。こうじ」と面紗の子ども。
「お前に云われたくないよ参謀。じんちく」とぼく。
「人畜とはえらいこった。くそったれ」と参謀。
「くそったれって何。ればにら」と面紗の子ども。
みあご、とスキャンダルが合いの手を入れる。それを聞いた面紗の子どもがくすくす笑った。
「参謀みたいなやつのことだよ。らくだ」とぼく。
「何だと。ださく」と参謀。
「アマミヤは駄作じゃないよ。くさり」と面紗の子ども。
「フォローになってないよ。りがくりょうほう」とぼく。
「良いねえ、子どもの発想は。ういかんむり」、参謀。
「ういかんむりって何。ほんとにそんな言葉あるの。また、り、だ。りす」、子ども。
「参謀は時々適当なことを云うからな。すたっかーと」、ぼく。
「適当じゃねえよ。とぼけもの」、参謀。
「とぼけものってアマミヤのこと?のくたーん」、子ども。

あ、と声が上がった。

面紗の子どもが自分のミスにけらけらと笑い出す。

あ、これツバメノだ。

ぼくと参謀が同時にそう感じた途端、劇場の中には誰もいなくなった。
みあご、とスキャンダルがもう一度鳴く。
雨上がりの世界、陽のあたった劇場。
そこにツバメノだけが残った。
以上、これがぼくたちのおわりかたです。


(終演、蛇足的たねあかしと劇場のゆくえ)


ぼくは痛覚。名前はアマミヤ。詐欺師とは肩から垂れ下がる二本の腕、魔術師とは繊細かつ大胆な指先、参謀とは脆く尊い脳、今回はお目に掛かれなかったが御者とは劇場を移動させる脚、灰色のツバメノとは誕生以来ぼくが守ろうとする愛なき子ども。
だが、面紗の子ども。あの子どもの正体だけは、まだあきらかじゃない。
ただあの子どもがぼくたちを一つに戻してくれたことは確かだ。すべてを見ていた賢いスキャンダルに文字があれば、必ずそう証言してくれるだろう。しかし、文字がない者にしかすべては見えない。それは世界のきまりごと。
ぼくたちには、まだ何も見えない。
これからだよ。
このからだでおわりまでちゃんと感じていくんだ。
ねえツバメノ、いろいろ不安もあるけれど、これからもきっとそんな悪くないと思うんだ。
おはよう。

060218