無言のふたりは見ていた。ベランダから、秋の太陽が落ちていくのを静かに見ていた。べつに、とメロがようやく口を開く。わたしは、一時間後にはもう隣にいないかも知れないひとの掲げているものがナイフなのか花なのかそれともただの音なのか、見極めようとしている。真夏に買ったサンダルは柵の隙間からちょっとだけ出した足の甲にぶら下がっている。幼い頃公園でやった天気予報、あの根拠のない天気予報をわたしは今になって何故だか大変、貴く思った。



三 食 の お わ り に



べつに、とメロがまた云う。
「ハナのことをきらいになったってわけじゃないんだ」
ただの不一致なんだよ、と、メロは柵の上に両肘をついた。わたしは同じ柵の上に顎をのせながら、それはもう不細工な表情をしていたと思う。
「不一致って、何の」
野暮だな。
自分でもそう感じた。
わたしがそう感じていることを解っているのか、メロはその質問に答えなかった。短くなった煙草を空き缶の中に押し込み、背伸びをした。
「おれは、人を棄てることなんか平気」
「きみって可哀想だね」
「うん。おれってそうなの」
空き缶を下に置く音がして、寒いから中に入ろう、とメロが云う。わたしが従うわけがない。じっとしているとメロが戻って来る。
「人を棄てることなんか平気。・・・でも、泣かれると辛い」

メロの選択はたぶん正しいんだろう。
そういえばわたしたちは約束を結んだことがなかった。どんなに他愛もない日常会話の中でさえ、約束事になるような会話だけは避けていた気がする。それって、この日のこの光景を予感していたからなんだろうか。

潰れたいくらみたいに太陽が萎む。だけどそれは一瞬の幻で、雫になるとたちまち頬を転がっていった。
だけど、わたしだけじゃなかった。
雫の中に潰れた太陽を閉じ込めなきゃなんなかったのは、わたしだけじゃなかった。 首筋を、誰かの橙色した粒がころころ転がっていった。 誰か、って、ここにはふたりしかいないんだけど。
わたしはメロに気づかれないよう笑った。笑いながら機嫌を取り戻した。
「棄てることはできても泣かれるのはきらい?・・・そんなの、聞いたことない」
「だろ。だけど本当なんだ。自分を偽って、心の中でハナを憎んだりするくらいなら、いっそ素直になって傷つけた方が良い、って、思う。嘘を吐きたくないよ。だから、棄てることが平気なのは本当なんだ。だけど、泣かれると困るのも本当なんだ。どうしよう。どうしたら良いの、これ」
「何云ってんのか分かんない。わたし頭悪いから、もうちょっとわかりやすく説明して。つまり?」
「つまり、だいすきだ」
メロの腕に力がこもってわたしは息が苦しくて、太陽が落ちて、でもわたしの目はまだ太陽の熱を覚えていて、瞼の裏からも睫毛の縁からも太陽のなごりが、その熱がどんどん溢れてくる。
「一度ふらなきゃ確かめられないことなの、それは。長い芝居」
くすぐったくて身を捩ったら、足の甲にぶらさげていたサンダルが弾みでどこか飛んでいってしまった。
振り返って見るとメロの目が棄てられた子犬みたいで、棄てようとしていたのはきみだろ、と云いたくなったけどその時間さえ惜しくて云えなかった。
「きみ、わたしがすきなのか、メロ?」
肩の上の頭が数回頷く。
「そんなにすきか?煙草よりすきか?そばにいないとだめか?やばいか?生きていけないのか?酸素か?」
命令すればお座りやお手だってしそうな従順さでメロが激しく頷く。
「じゃあ、わたしを泣かせても良いよ。ま、今のところ泣いているのはきみだけどね」
つくづく煙草の似合わない男。
つくづく女王様になりたいわたし。
真夏に買ったサンダルは、さっきベランダから飛んでいったあのサンダルは、鳥になったことにしよう。明日の天気を決めないどころか、これから先の天気を一日たりとも決めることなく、そう、天気なんてものは当人達に任せて、いつまでもいつまでも辿り着かない太陽を目指して飛んでいくんだ。お元気で、とも、さよならだ、とも云わないで。

この物語がそんな調子で佳境に入った頃、お隣さんから食器の割れる音が響いてきた。
「・・・またタロがヒミに怒られてる。今度は何だ。まあ、朝には仲直りするんだけどね、あのふたり。わたしたちは逆だな。夜に仲直りする」
そんなのどうでも良い、とメロが拗ねる。
こんな時は「ちゃんと見ているよ」とでも云わなきゃ機嫌を直してくれない。
「ちゃんときみだけを見ているよ」
メロが安堵した様子を確かめ、わたしはようやく室内へ戻った。
「じゃ、夕食にしようか。メロ」

061002
「三食のはじめに」前夜。タロ・ヒミ宅(ここはアパート)のお隣さん。メロとハナ。