断末魔の叫びの合間に、軽い鼻歌のようなものが聞こえる。
冬の暖かな昼下がりだった。
俺は、テラスの近くに置かれた旧式のレコード(曲はアリアだった)をかけながら、部屋の調度を鑑賞していた。ターゲットの嗜好するところが少し分かったような気がする。
「レトロな趣味だな。いくらだろう」
そんなふうに呟きながら俺がへんてこな木彫りの像を手にしたとき、突然、隣からミートパイをぶちまけたような音がした。断末魔、また、断末魔。男のものと、女のもの。派手に遊んでやがる。
「……限度ってものを知らないからなあ、ナナセちゃんてば」
それから、トマトジュースの零れるような音、叫び声、……さけびごえ?
ああ、何て事だろう。
ターゲットには、まだ、息があるのだ。




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初仕事は、初めて言葉を交わした翌日にはもう準備されていた。今回は随分と手際が良いんだな、とハジメに嫌味の一つでも云ってやりたいところだったが、あいにくそう簡単に会える関係でもない。これでも一応、上司と部下の関係にある。その日ナナセは俺よりも早く起きていて、早速お気に入りのブルゾンを着込んでいた。(女みたいにたくさん服を持っている)。その表情は遠足の日の小学生とまるで同じなのだ。
「寒いよ。そと。ハチ」。
ナナセは必ず、ハチ、と付ける。その場に確実に俺達二人しかいなくても、ハチ、と呼ぶ。
世界一短い呪いの言葉。
俺は確実に、親しみを覚え初めていた。物に対する愛着のように、独占欲にも似た、甘い衝動のように。あくまで純粋なもののように。

それから俺の運転する車をターゲットのいる地点まで走らせた。助手席で一方的に他愛もない話をしているナナセの横顔をときどき盗み見る。楽しそうだ。だがナナセの話は独り言に限りなく近く、会話として成り立たない。会話っていうのは、双方のやりとりがあって初めて成り立つものだ。俺にはどうやって相槌を打てばいいのかさえ分からない。子どもの世界を忘れてしまった、大人の気分だ。だけど、これが果たして本当の子どもの世界かどうか。虚言癖にも近い。

今回の任務のレベルはそう高くない。前もって別の班がターゲットを本人の別荘にまでおびき出しておいてくれたらしい。段取りが良いのは、俺達二人にとっての初仕事だということを考慮した上でだろう。だったらもう少し、お互いを知り合う時間が欲しかった、などと思うのは甘えか。
とはいえ、隣近所の気にならない環境だということは随分都合が良い。俺は敢えて急所を外し、ターゲットが逃げ出せない程度の傷を膝に負わせてから、仕上げはナナセに任せることにした。パートナーが変わった時の、俺のやり方だった。先に手の内を見せて貰う。
それで分かった。

「手を焼いた」。
「手に負えなかった」。

原因は、ナナセの、人肉に対する異常なまでの執着のことだったのだ。

「お前、そういうのって体に悪いと思うけど。腹壊すぜ」
と云うと、ナナセは、血まみれの顔を上げて「あったかいのが一番気持ちいいから、今じゃなきゃ、だめ」などと理由のわからないことを云って続行する。
このことだったのだ。
人を殺すシーンには慣れていても、人が人を食べるシーンには慣れていない。
次から次へとパートナーが入れ替わるわけだ。結局俺は、俺ならナナセのこの行為を受け容れられるだろうというハジメの策略にまんまとはまっていたのだ。
これだけの趣味があると云うのに、それでもナナセが構成員から外されていないというのは、92にしては寛大な対応だと思う。何だかんだ云ってもナナセが任務をきっちりとこなすからだろう。死体に対する食欲ぐらい大目に見てやろう、と云うのだ。
笑えない。
「分かってるか、そいつまだ息してるぞ。早く殺してやれよ。かわいそうだろ。それからしたって、いいだろう」
ナナセはもう一度顔を上げると、にこ、と子どもみたいに笑った。
背筋が寒くなった。
これは不協和音だ。
かけ離れている。
似つかわしくない純粋さだった。
「ハチ。それはだめ。いやだ」
どうしてそんなに綺麗に笑うのか。
どうしてそんなに究極に我が儘なのか。
だめとかいやとかそういう次元の問題じゃないだろう?なあ。お前な。そいつが今どんな苦しそうな顔をしているか、見えてんのか?そいつの痛みが、分かってんのか?硝子に爪を立てるよりも不快な悲惨さで叫んでる、……と、俺にとやかく云う権利はない。そりゃそうだろう。結果的には変わらないのだ。もうほとんど死んでるようなものだ。運が良ければ先に気絶でもするだろう。それから出血死、だ。

ぶっ飛んだ奴の多い92だが、こんなふうに落ち着いたキチガイを初めて見た。
俺はやけに神妙に、ナナセのしていることを眺めていた、やがて、受け容れていた。

不思議な世界だ。
ここじゃ化け物は天使みたいに笑うんだ。
そして俺は、慣れてゆくんだ。

041029