「見て、ハチ」
一服しているとナナセが戻って来た。両手に何かを引きずって、満面に笑みを浮かべて。その顔だけ見れば、どんなに楽しいことをしているのだろう、と思う。こいつの事を何も知らない人が見たら、誰だってそう思うだろう。
だけど全部錯覚だ。
こいつが一番いきいきとしている時は、その笑顔からは想像できないくらい衝撃的なことが行われている。
「ハチ、これ。これ何センチなの」
ピンク色の、たぶん。
腸。
そう、ただの、腸。誰の体内にも、俺の体内にもあるやつだ。本で見たことがある。形状、役割、長さは数メートルにもなるんだっけ。ああ、それなのに。決して、未知のものではないのに。
リアルであるということの威力は想像を遥かに越えるのだ。
「なあ、ナナセ。俺のことは別に良いんだ。な、お前一人で楽しめ」
気持ちが悪い。
「ひとり、つまらない。いや。ハチも、きて」
べったりと濡れた手が俺の服を引っ張る。
なんなんだ、こいつ。
「いや、じゃねえよ。俺は楽しくないんだよ。頼むから、それ戻してきてくれ」
「もどしかた知んない」
「あのなあ、だったら出すなよ」
何度繰り返しただろう。
何しろこいつは、それをまだ生きている人間の腹の中から持ってきたんだ。




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「三回だ、三回。三回ともだ。あいつはおかしいよ」
「へえ、どんなふうに」
澄ましているハジメの顔面に、口に含んだコーヒーを思い切りぶちまけてやりたい衝動にかられた。
「猫みたいなやつだよ。獲物の一部をわざわざ持ってきて見せてくれるんだからな。ああ、そりゃもうかわいいぜ?誉めてやりたくなる」
危険な衝動(なんせハジメは一応、上司だ、しつこいようだが)を何とかコーヒーと一緒に飲み下し、皮肉たっぷりに答えた。ハジメのことだ、詳しいことはとっくに知っているので、説明などしないでやる。ハジメは爽やかに笑った。図太い奴。普通笑えるか?ここで。そんな爽やかに。
「ああ、そうだな。確かにナナセは猫科だ」
論点はそこじゃないっての。
「……。どうして先に云わなかった。食べるんだ、って」
「え?つまんないだろ」
当たり前のように答えて、ハジメはにっこり笑った。訊いたことを後悔した。そうだ、こいつはこういう奴だったじゃないか。
「こっちの身にもなってみろよ。何ならこいつ一人でやらせたらどうだ。パートナーとかじゃなくて。やり方には問題ない。体力は少し劣るかも知れないけど敏捷性に長けてる。ただ問題は、事後にあるんだがな。それも、ウルトラヘビーな問題が。あれは抜き打ちテストか?俺達の忠誠心を確かめるための。試しているのか?忍耐とかそういうの」
「まあまあ落ち着け、8番。抜き打ちテスト?まーさか。パートナーは92の原則だ。単独での行動は許可されない。少なくとも、ハチの段階じゃあ」
ハジメにそう云われると、分かったと答えるしかないのだ。いくら対当な口をきいていても、ハジメは上司だ。絶対服従。それがこの組織を可能にしている。他に行き場のない俺達は、従うことで生かされている。社会というシステムの中から、弾き出されることなく、その複雑な構造の歯車の、小さな螺子として存在できている。

「それに、初めてじゃないだろう。肉を食べる奴。お前の、知ってる奴で」
「いた。確かに、いた。だけどあいつとは違う。ナナセの場合は、抑圧された欲望からくる食欲っていうよりは、もっと潜在的な部分からくる食欲なんだよ。肉体的な食欲ってよりは、精神的な渇望が食欲になってあらわれてるみたいなもんなんだよ、」
「分からないねえ」
「相変わらず嫌味な野郎だな。犯すぞ」
わけないけど。
俺は椅子に背中を預けた。らちがあかない。糠に釘。こいつとの会話は。
後ろのソファでは今回の話の主役が体を丸めて眠っている。
猫みたいな眠り方をする。

猫科、か。そうだな。

「あの体勢が一番安心するらしいぜ」
俺と同じものを見ていたハジメが、優しい声で云う。無意識だろう。俺だってそうなっているはずだ。優しくなってしまう。自然と、そうなってしまう。どうして、あんな、残酷なことをする奴の寝ている姿を見て、優しい声なんかになるんだ。気味の悪い変態は、俺の方だな。
やっぱり呪いだ。
初めに感じた予感は、間違いじゃなかった。だからってどうするわけにもいかないけど。
「あいつはもう、棄てられる人生だよ。親に棄てられた、パートナーに棄てられた、そして今、出会って間もないハチにまで棄てられようとしている。可哀想な話じゃないか。この不憫な定め、とりわけて贔屓にしたくなるってもんだ」
お前その考え方は完全に歪んでるぞ、と云おうとして、やめた。
俺達の生活の中で、歪んでいないものなんてない。歪んだレンズを通して見た物が歪んで見えるのは当たり前のことだ。限りなくすべてが間違っている、そして正しい。矛盾は仕方ないことだ。それを無理に並べようとするから、追い詰められる。漂わせておけばいい。自然と落ち着く場所に落ち着くだろう。

「……棄てるなんて云ってねえよ、俺はまだ」
「へえ」
本当に、ただ眠っているだけだ。
どんな夢も見ていないように、そこで丸くなっているだけだ。

その胴体は罪の手なんか持っていない。
ただ、人間の腕が、二本、あるだけだ。

塞がらなくなった傷口を、埋めようと、色々なものを詰め込んできたんだろう。それはどんなに痛かっただろう。何も分かっていないわけじゃない。すべて分かって、今に辿り着いたのかも知れない。それを考えると、これはもう完全に俺だってイッてしまったのだと思うが、
愛しかった。
「じゃあ、もう少し、傍にいろ」
ナナセは、寂しいだけだ。
それがちょっと変わった手法で表現されているだけだ。
「語弊ありまくりだな。何だよその入れ込みようは」
「まあ、俺には学歴ってものがないからね」
「詐欺の素質は十分だ。だいじょうぶ、うまくやってる」
「ははは」

自己に簡潔な弁護を。
他人に簡潔な存在価値を。
真偽の定かでない所以。
悪魔なんかいない。
天使なんかいない。

041029