あの日からもう何年が過ぎただろう。
あの、汚れた路上で紙幣を数え切れなかった、かじかんだ子どもの小さな白い手。




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「この辺りだったね」
ナナセがブーツの踵で一点を示す。横に並んで改めてその建物を見上げてみると、テナント募集中、の貼り紙がある。
「やっぱり、あの人、社長じゃなかったんだ」
自分の中で何かを整理したかったのか、車に乗せてとナナセが頼んできたのはつい今朝のこと。目的地は俺とナナセが初めて言葉を交わした場所だった。
「ぼくが決めたルールなの。社長なら20枚。それ以外は10枚」
「その時のお前、世の中には社長とそれ以外しかいないと思ってたんだな」
ナナセが俯いて笑う。
ブーツの踵で、何度もその一点を鳴らしている。

夜の帳に包まれる頃には、この街も今とはまるで違う表情になるだろう。足音と笑い声と欲望と暴力ともつれ合いと飛び交う紙幣と。こんな場所で、身寄りが誰もいなくても、あんなに小さくても、ちゃんと生き延びていた。見知らぬ他人に幾度も声をかけただろう。手当たり次第に裾を掴まえて、どうしたらいいのか、訊ねて回った。ずっと独りで淋しいこともあっただろう、怖い目にも何度も遭っただろう。だから、何をされても微笑み返せる術を身に付けたのはその頃だ。自分の持ち合わせる数少ない物のうち、たった一つそれだけが、自分の身を守ってくれると自然に学んだ。そう、演技なんかじゃなかった。あれは。余所者の俺に対しても惜しみなく向けられた、あんなにどうしようもないくらい哀しくてきれいな笑顔は。

だけど、もしも、俺がこの街に出向かなかったら。
もしも、あの時あの場所で踵を返さなかったら。
もしも、そのまま通り過ぎていたら。
お前は、
今頃、

「気づいたよ、」

ナナセがしがみついてきた。あの時と同じ。それはどうしたって冷たく突き放せない力。体温。
ああ、こいつには、俺の考えていることが分かるのか。

「ハジメが見落としても、ぼくが気づいて、追いかけたもん。もしも、とかない。ハジメのばか」

震えている。寒さだけじゃなかっただろうけれど、俺はポケットを貸してやる。「ああ、そうだったな、ごめんな」。ナナセの手は、ずっと誰かに握っていてもらわないと、哀しくて哀しくて、凍りついてしまうんだ。そういうふうにつくられた。そういうふうにつくられて、この街に産み落とされた。

「なあ、ナナセ」
「うん」
「ハチは、お前を捨てないと思うぜ」
「分からないよ、そんなこと」
「云っただろう、ずっと大丈夫だ、って。一度くらい俺を心から信じてみろよ」
「……うん。信じる。じゃあ、だいじょうぶだ。うん、もうこわくないよ」

冷たい手を握り締めて、車内に戻る。もう二度と彷徨わない迷子を乗せた車は、どれだけ汚れていたってやっぱり誰かにとっては懐かしいこの通りに、発車のエンジン音を響かせた。

051109