「ぼくの中に誰かいます」
最初は何のことだったか分からなかったが、話を聞くうちにクウの人格は分裂によるものだと分かった。俺は相槌と簡単な質問を繰り返した。まっすぐな目がときどき不安そうに見上げてくるのを受け止めながら、「ああ、こいつには本当に俺だけなんだ」と思った。




9 1  秘 密 の 洞 窟




「だから、ぼくが別の誰かになった時、ハジメさん、ちゃんと話しかけてください。無視したりいじめたりしないでください。お願いします」
「ねえ。それって、俺が、無視したりいじめたりするの前提?」
「いくらかの根拠があります」
「だろうねえ」
「はい、あります」
だけど、どうして俺なの。
だけど、どうして教えんの。
そういえば、お前は、極端にシャワーを嫌う。背中に点々とやけどの跡があった。だから、煙草が嫌いなんだろ?
だから、皮肉にも、あの時ピストルを掲げた俺が神さまにでも見えたんだろ?
「了解」
「わ。本当ですか」
「疑うわけ」
「いえ、確認です」
「約束しとくか?」
「ちゃんと誓ってください。そのためにこの場所に連れて来たんですから」
洞窟の壁を、海の光がきらきら反射してる。確かに、こんな場所で誓ったことなら一生守れそうな気がするよ。
「誓い?お前に?」
「違います。ハジメさん、誓いは自分にですよ」
「分かった。誓うよ、俺の名にかけて」
「ありがとうございます」
なあ、クウ。だけど、あれはお前の父親だったんだ。
この世界に一人しかいない、お前の家族だったんだ。
「お前、ばかだな」
「ぼくはばかじゃないです」
「ほら、分かってない。だから、ばかなんだよ」
「そんなこと云うならハジメさんだってばかですよ」
「うん。俺はずっとばかだよ?」
「ずるいです」
「何が」
「もう良いです。それより、せっかくハジメさんもお休みなんだから、お昼はカフェに行きましょう。お菓子は芸術です、ハジメさん、これを知らずに生きてたって意味がないんです、」
力説を始めたスイーツ好きのクウを横目に、俺はポケットの札束を握り締めた。こんなには要らない。こんなにたくさんの金なんかなくたって。
「いいぜ。ただ、そんなんばっか食べてるようじゃ背は伸びないけどな。健康にも良くない」
「健康にも良くない、なんて、一日中煙草ばっか吸ってるハジメさんには云われたくなかった言葉です」
「うわ。5歳児に泣かされそう。優しくしろよ」

一番きれいな日。一番きれいだった海と空。風と、笑い声。もう手に入れた。誰にも奪えない。いつか正直に云うよ。あの秘密の洞窟で、本当に救われたかったのは、お前じゃなくてたぶん俺なんだ。あれは、お前の笑顔に救われたかった、まだ弱すぎる俺なんだ。

050422