何かを見つめる。そうすれば何かがぼやける。
何かを呼ぶ。そうすれば何かが呼べない。
できることと、できないこと。
焦点を合わせた方に鮮烈な光は集まる。
力の入らない手に力を込めようとする。
秘密を零しそうな唇を唇で塞いでやる。
絡み付いた有刺鉄線、薔薇の棘。
綺麗な頃を思い出せない。
薄い膜に塞がれて、息ができないのなら。
俺が連れ出してやるよ、  。




6 5  無 効




「……ハチ?……ゆめ?」
ゆらゆらと揺れている。ゆめ?さっきが?今が?どっちが?何だろう。頭を振る。自分の髪が濡れているのが分かった。髪だけじゃない。滴って服から染みて体まで。強烈なシンナー臭。少しずつ目が見えてくる。揺れている。視界が。
「おはよう、ロク」
声がした。ハチじゃない。この声はハチじゃない。だけど知っている。ずっと知っている。
「……だれ、」
体を動かそうとする。不自然に固まっている。後ろ手に縛られていた。固い椅子に座らされている。足は自由だ、けれども持ち上げるほどの力もない。手首を擦り合わせて拘束を解こうとする。レザーベルトの感触でそれも無駄だと知り、あきらめた。結び目のあるものならどうにかなったのに。革なら無理だ。
「頭がぐらぐらする」
「薬が効いてきたな」
自分の身に何が起こったのかを思い出そうとした。頭を働かせなければ。血を取り戻す。パズルの破片を探す。そんなに激しい損傷はない。取り戻そうとすれば、記憶だって、すぐに。
「ここ、どこ」
「ロクの知らないどこか。もっと説明が必要?」
「要んない」
「そう。だってお前は、目が見える」
そうだった。目を開けて、辺りを見回す。滴る液体に目が染みたけど気にしない。白い部屋。光に照らされていない所はないくらい、何もない立方体の部屋だった。足元に跪いている男。顔は見えない。顔だけ、塗りつぶされたように見えない。だけど声を知っている。錯覚なんかじゃなくて、もっと近い場所で、前に。誰だろう。思い出せないだけ。知らないのじゃない。思い出すには、どの引き出しを開ければいい?その前に、思い出したほうが、いい?この声をいつどこで聞いたのかを。
「あんただれ。ここで何やってんの」
男は手の中にライターを弄っている。
「うそ、俺のこと思い出せないわけ、さびしいなあ、涙でちゃう」
状況を把握、髪から滴るシンナー臭はたぶんガソリン、それと火と。

「僕を殺すの、」
「うん」

見上げてくる瞳、そこに嘘はない。
だけど何かが、欠けている。
不自然だ。
だけど、どこが?
欠けているのは、自分?

「云い残すことは?」
火が見える。とても小さな火だ。そんなものが、今に何倍にもなって、僕を確かに焼き殺す。まったく実感のない話で、まだ危機感はない。麻痺してるのは体だけじゃない。すべての思考が、感情が、はたらくことをやめて、与えられる音や色に夢中になっている。差し出されれば何だって受け容れてしまうだろう。貪欲な、飽かない口のように。
「どうして僕を殺すの、」
「聞きたい?」
「自分の殺される理由くらいは」
「俺だって、いつかは誰かに殺される。消耗品なんだよ。代替のいくらでもいる、消耗品。ツインはシングルになりシングル同士がまたツインになる。半分できた空席には新顔のストックが補填される。流動性なの。どんなに上等であったってどんなに丁寧に使ったって、切り続けてればナイフは血で汚れるだろう?わかるか、相棒?」
「……相棒?……なに、ゆってるんだ」

わからない。
「わからない」
ねむい。
「ねむい」
つかれた。
「とても」
つかれたよ。


夢だ、
分かってる、
目を開ければいいだけなのに、
膜が、
あって、
息が、
できない、
ここは、
深すぎる、
深すぎるんだ、





連れ出してくれ、
ハチ、

040905