昨日の雨で校庭の桜が散っている。
 今も風が吹くたび樹から落ちた花弁が吹き溜まりに集まって、おれはその真ん中を横切って登校した。
 柔らかくて真っ白でどこも汚れていなくて、一見何も問題無いのに桜の樹はこれをもう落とすのか、と思う。思うのは、おれの貧乏性だろうか。
 校門をくぐったいつもの付近に来るとさりげなく左右に視線を走らせるが駆け寄ってくる人影は見当たらない。ほっと息を吐いた。
 教室に入り自分の席に着くと肩に掛けていたバッグを机の横に提げ、数学のノートを広げる。
 宿題の問題を終えたところで教室を見回す。あいつの姿はまだ無い。時計を確認しようとしたところで朝礼が始まった。
(……珍しいな。あいつが遅刻か)。
 頬杖をついたおれは窓から外を見る。一年生の校舎が見える。
 先週の入学式からあまり日が経っていない。
 一年前の自分はあの場所にいた時どういう気持ちだったかな、なんて考える。
 新しい制服に初めての教室。出会ったばかりの同級生の全員どこか緊張した顔ぶれ、配布された教科書のにおい。自己紹介の文章を頭で組み立てながら、状況がこれだけ揃っていながら、それでもまったく真新しい気分にならなかったのは、同じクラスにあいつがいたからだ。
 幼なじみなんて、人から羨まれるほど良いもんじゃない。
 それも、小学校からずっと、何かの陰謀じゃないかってくらい同じクラスだったりなんかすると。しかもおれとあいつの場合、小学校以前から、保育園時代からの縁だ。こうも付き合いが長いと一緒に暮らしている家族よりずっと自分のことを知られているし、まあその分こっちだって相手を知ってしまっているわけだけどそのおかげで甘えが拭えなくなったり、事件に巻き込まれたり、深刻な悩みを持ちかけられたりと、義理が生じる。適度な距離を保つことができれば良いかも知れないし、おれだってそれを望んでいる。が、あいつは逆だ。保育園時代からちっとも変わらない。追いかけて話しかけてくっ付いて。構って構って構って。黙れと云えば黙るけど、態度に出る。
 甘やかされて育ってきたから仕方無いんだろうけど。

 眠くないのにあくびが出た。
 春のせいなんだろう。
 春と、たぶん、あいつのせいなんだ。

 担任が、昨日の雨はすごかったですね、などと話している。
 そうですね。
 おれはお昼の番組みたいな相槌を頭の中で打つ。
 春はお天気が崩れやすい季節です。
 そうですね。
 体調も崩しやすい時期なので気をつけましょう。
 そうですね。
 片瀬くんは今日はお休みだそうです。
 そうです、「えっ!」。 
 おれは思わず声を上げてしまった。
 教室に響くほど大声ではなかったが斜め前の生徒が驚いたように振り返る。何でもない、と顔の前で手を振って見せた。
 休み時間、おれは携帯からメールを送ってみる。
(あいつでもちゃんと風邪引くんだな)。
 ちなみにリクが風邪で学校を休んだことは一度も無い。ずっと同じクラスだったおれが云うんだから本当に一度も無いんだ。ただ、風邪以外で休んだことならある。親戚の葬式だ。
「……寝てんのかな」
 返信は来ない。
 下校時にもう一度携帯を開いて見るが、父親とバイト先の店長から一件ずつあるだけで、リクからの返信は無かった。
 父親のメールの内容はいつも通り、本日の予定帰宅時刻。ずっと続いている、父子家庭の我が家の習慣みたいなものだ。
 店長からは、シフトを教えて欲しいということだった。平日の朝と週末。その場で返信する。店長からは「アサトくんがいてくれて助かるよ」と返ってきた。どうやら週末の休みを希望する人が多かったらしい。
 花見かな。
 校庭の桜を見やったおれは吹き溜まりが無くなっていることに気づいた。掃除の時間にどこかへ持って行かれたらしい。

 翌日もリクは休みだった。
 二日続けて休むとは思わなかったので油断していたおれは斜め前の生徒に宿題のノートを写させてもらうことにした。
「え、数学? いいけど、ほら」
 バスケ部の朝練を終えてきたからかそいつはシャツの前を開けた格好だ。四月とは云えまだ肌寒いこの時期に一人だけ真夏のようなスタイルをしている。おれの視線に気づくと「いやん」などと云って体をくねらせたから放置してやった。
「アサトくん、もっと構ってよ」
「後でな」
 素っ気無いおれの返事にそいつは何故か嬉しそうにした。
 体格はまるで違うが性格の上ではリクのようなところがある。
 最初から馴れ馴れしい奴だった。
 最初に話しかけられたのは入学式でだった。
「なあ、おれと一緒にバスケ部入ろうぜ」。
「おれバスケとかやったことないんだけど」と答えると「できる、お前なら絶対できるって」と根拠も無く励まされた。おれはバイトを始める予定だったので、部活には入らないつもりだと断った。ちなみにバイトのことは云っていない。学校にばれたら辞めさせられるだろう。
 どうしてあの時おれに声を掛けたんだ。後になって理由を訊くと「新入生の中で一番、流川っぽかったから」と答えが返ってきた。
 その話をおれから聞いたリクは笑っていた。
「リク、大丈夫かなあ」
 そいつの言葉におれは顔を上げた。
「ほら、一日だって休むの珍しいじゃん。遅刻もしない奴なのに」
「ま、確かにな」、頷く。
「やっぱリクがいないとなんか落ち着かないよなあ」
 今度は頷かない。
「そうか? おれは久々に落ち着いてる」
「またまた。アサトくんってば強がっちゃって」
「どういう意味だよ」
「本当は心配してるんじゃないの」
 そいつの視線がおれの足元に落ちる。椅子から腰を浮かせて身を乗り出したおれは自分が間違ってリクの上履きを履いていることに気づいた。そうだ。今朝、学校に着いたおれは真っ先にリクの靴箱を確かめたんだ。そこにスニーカーが入ってないことを見たおれは、無意識にリクの上履きを取り出して履いてしまった。らしい。らしい、と云うのは無意識だった証拠だ。少なくとももっとも妥当な推測だろう。自分以外の何者かに履き替えさせられたとするよりはよっぽど。
「見舞ってやれば?」
 面白がるような声が遠くから聞こえる。
 おれは項垂れた。
 そういえば上履きのサイズが少しきつい。


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