ヴァンパイアと食べる




 ぼくの家では家族全員が揃ってから夕食をとることが決まりとなっている。他に細かなルールはないが、それだけはお母さんが譲ろうとしない。現代社会において家族のメンバー全員が揃って夕食をとるような家庭は珍しい。お母さんの主張するところによると、しかしこの決まりは少なくともぼくが中学を卒業するまでは続けるべきだということだ。
 家族のメンバーには、お母さんとお父さんとぼく、そしてもちろん家に住んでいるリーも含まれる。
 今日の夕食は小海老とニンニクのソテーだ。
 これもお母さんの主張するところによると、ヴァンにはニンニクを克服することが必要なんだそうだ。これまでの長い歴史の中でヴァンは十字架や太陽などたくさんのものに泣かされてきたわけだが、それらの内十字架は、今はもういないぼくのおじいちゃんが克服させることに成功している。ヴァン・ラボラトリー創設者の家柄であり、十字架克服プロジェクト偉業で名を残したドクター・セノオの一人娘とあってお母さんも何かしら功績を残したいのだろう。
 災難なのはリーだ。家庭内に実験を持ち込むお母さんの格好の餌食となっている。
「見えていないと思ってバカなことしないのよ、リー?」
 お母さんがお父さんと話をしている隙にニンニクだけを取り除いていたリーの行為はすぐに発覚してしまう。
 どちらかと云うとリーの災難に同情しているお父さんとぼくは「また始まったぞ」とばかりに目配せし合った。
「しかし、君、嫌いな食べ物は誰にだってあるだろう」、お父さんは何とかリーを助けようとするが効果はほとんどない。
「ねえ、あなた。今ラボラトリーでどういう実験が進められているか知っているの」
「あ、いや、ぼくは君の会社のことはよく分からないけど」
「パンドラ・プロジェクトよ」
「えっ、パンチラ・プロジェクト?」
「うっ、お母さん、お言葉ですが、おれはそういうのはちょっと・・・乗り気ではない」
「銀とリーは黙っていなさい。・・・ねえ、あなた。これはヴァンの長命を人間の歴史に活かす一つの画期的な試みなのよ」
 お父さんはお母さんの機嫌を損ねないよう相槌を打つ。
「な、なるほど。それで、どんな内容なんだい」
「あまり知られていないようだけどヴァンの知能は超人的なの」
「ま、生ける死者という点でとっくに人を超えているけどね」
「銀、お願いだから口に物を入れたまま喋らないで。・・・知の遺産を後世へ残すには、これまでなら紙や電子を利用してきたわ。だけど本は焼けるし虫に喰われる。電子は散るし電子を記載したディスクは一概に脆いわ。軽量化、薄型化を追った結果ね。それに電子は水害に弱いの。結局、生きた脳を利用するのが一番なのよ」
「お母さん、おれは勉強が嫌いです」
 お母さんの熱弁中に皿の上のニンニクをこっそりぼくの皿に移し終えたリーが、お母さんの最後の言葉に反応して顔を上げる。プラチナの髪が揺れた。
「勉強する必要なんかないのよ。ただそこに生きていれば。そして生き続けていれば。それだけで知的財産だわ。歴史の目撃者。革命や文化の変遷の目撃者そのものなんだから。そんな役目を担うからには、ニンニクごときに退散しているようじゃ駄目なのよ」
 ぼくは皿の上に溜まったニンニクを口の中に詰め込みながら、呆然としているリーの冷たい手をテーブルの下で握った。
「・・・銀」
 哀しげにぼくを見下ろしてくるリーに向かって小さく肩をすくめてみせる。こういう時はおとなしくしているのが一番なのだ。口を挟めば火に油を注ぐようなもの。
 それに、とお母さんが付け足す。
「それにリーはどっちにしてもニンニクが必要よ。華奢すぎるわ。その内、銀にだって抜かれるわよ」
「リーは不死なんだから体を強くする必要なんてないんじゃ・・・」
 ぼくの言葉を無視してお母さんは続けた。
「それに、リーは顔色が悪いわ。顔立ちは整っているのにもったいないわよ。たまには日光浴でもしなさい。気持ち良いわよ、太陽の光をいっぱい浴びて、うーんと深呼吸するの」
「日光浴・・・お母さん、あなたはおれに死ねと云うんですか」

 部屋に戻り、天井の銀河図を見上げながらじっとしていると階下からお母さんがお父さんに対してラボラトリーの研究内容とその有効性について熱く語っているのが聞こえる。お父さん置き去りにしてごめん、と呟きながらぼくはもう何も考えることができなくなってうっとりと目を閉じた。
 リーの長い髪がリーの細い肩を滑り、ぼくの顔の横に流れてくる。同じシャンプーを使っているのにリーの髪から漂ってくる香りは特別だ。ぼくはリーの服の裾をぎゅっと握り締めた。
「お母さんは悪気があるわけじゃないよ。熱心なだけなんだ」
 ぼくのフォローを聞いて顔を上げたリーは何も云わず、今度は左耳の下に顔を埋めた。
 夕食をほとんどとれなかったので空腹なんだろう。ぼくは心持ち顔を右へ向けて、リーが吸血しやすいよう計らう。
「構わない。お母さんが意地悪な日には、お前が優しいからな」
 ぼくは「やられたな」と思いながら、今日学校から帰ってからずっと云おう云おうと思っていたことを口にした。
「あのさ、今度の夜間学、」
「厭だ」
「最後まで聞いてよ」
 聞かなくても分かることもある、とリーは不機嫌そうな顔をし、ぼくの首から顔を離した。
「おれは学校なんて場所が一番嫌いだ。あそこにはバカで騒々しいガキ共がこれでもかというほどごろごろしている。そんなやつらに向かって講演することなど何もない。そんな事態を受け容れるくらいなら同じ数のジャガイモへ語りかけている方がまだマシな気分だ。この見解は以前にも述べたと思うがな」
「ヴァンとの交流は夜間学校のメインなんだよ。先月はハヤシさん宅のヴァン・ロランが出席してくれたんだ。その前はオダくん宅のヴァン・マチコ。キツキさん宅のヴァン・ジョージなんか三度も参加してくれているよ。まだ一度もヴァンと参加していないの、ぼくとあと数名しかいないんだよ。早めに終わらせちゃおうよ、ね」
 リーはぼくの上に馬乗りになったままあらぬ方を向いている。
「ね、リー。一回我慢すれば良いんだから」
「ふん。どうせ講演だけでは帰してもらえずガキ共とくだらんレクリエーション等をして戯れないといかんのだろう。屈辱だ」
「楽しいよ」
「騙されん」
 むっとしたがここでヘマをするわけにはいかない。我慢だ。
「あ、そうだ。今回は天体観測もプログラムに入っているんだよ」
 机の上を指さす。そこには、今週土曜に行われる夜間学校のプログラム表がのっている。リーはちらりと見たがそっぽを向いた。
「秋の夜空は綺麗だよ。予報によると土曜は晴天だからきっと星座もよく見える」
「星座には神の名が付いているから嫌いだ」
「あ、そういえば、もし出席してくれたらお礼に吸血させてくれるって。これまでは花束だったんだけど、やっぱりヴァンが一番喜ぶものをお礼にしよう、って、こないだの学級会で決まったんだ」
「銀の血しか欲しくない」
「ヴァン・ロランも来ると云っていたな。彼は子どもが大好きなんだ」
「病院へ連れて行け」
「う、ええと、あ、でもさ、夜間学校に参加したらお母さんも褒めてくれるかもよ」
「身内からの褒賞に興味はない」
「他のヴァンとも知り合えるよ」
「交遊に喜びを見出す性格じゃない」
「孤独死するよ」
「もう死んでいる」
「引きこもり」
「ヴァンだからな」
「居候のくせに」
「ふん、居候だと。虫の良いことを。これは軟禁だ。今や希少であるヴァンを自分たちの計画に利用するためラボラトリー研究者の各家庭で飼育しているのだ。家庭の味ってやつを覚え込ませ、人間に懐かせるためにな。軟禁以外の何だ」
「だから外へ出してあげようとしているんじゃないか。そんなに云うなら、それこそ夜間学校に参加すれば」
「強制であることに違いはない。やはり軟禁だ」
「だからそういうところが癪だって云ってんの」
「今のお前には負けるさ」
「減らず口」
「事実だから反論のしようがないな」
「ああ、もう、リー!」
 限界だ。
「夜間学校に参加してくれないなら、もう二度と血をあげないぞ」
 それを聞いたリーの瞳が初めて曇ったが、一度瞬きをした後にはもう自信を取り戻していた。
「許可など請わない」、リーは屈んでぼくの手首を押さえ付けた。
 華奢な体の一体どこからそんな力が出てくるのか、ぼくが必死に逃れようとしてもリーはびくともしなかった。
(ほんとだ、こいつ、ニンニク必要ないよ、お母さん)。
 ぼくは思わず声を上げそうになったが、左耳の下にリーが歯を立てたら、すっかり体の力が抜けてしまって、もう叫べなくなった。
「・・・リー、もう、だめだ。今日の分は、終わり、だ」
「ふん、あれっぽっちで。おれは赤ん坊か」
 ぼくは、違う、と云いながらリーの後頭部を撫でた。
「ちが、う・・・。でも、ぼく、まだ今日の宿題してな・・・い」
「おれがしてやる」
「・・・うん」
「算数ならな。おれは数字がすきだ。あれは嘘を吐かない」
 眠気とは違う。ぼくは静かに意識を手放した。人間には血が必要なんだ。頭を働かせるにも、呼吸するにも。
 それを知っていて、リーは時々この手を使う。ぼくがもう何も喋れないように。そして夜が明けてしまうんだ。
「・・・ごめん、国語、なんだ・・・漢字の・・・読み書き」
 リーの瞳の色と同じ、群青の闇に落ちる手前、ぼくはリーが何か喋っているのを聞いた。だけどそれが何なのかは聞き取れなかった。

060921