ヴァンパイアと見上げる




「昨夜はヴァンにしつこく求められていたので宿題をする時間がありませんでした」。
 ぼくの学級でそのいいわけはもはやジョークにも使えないほど陳腐になっている。あくまで事実を話したつもりだったぼくの弁解は先生の「居残りね」の一言でさくっと片付けられた。
 この出来事を逆手に取って今日の夜間学校に参加することをリーに承諾させたが、果たしてちゃんと来るだろうか。
 ざわめく教室の外に立って左右を見ながらぼくは「やっぱり一緒に来るべきだった」と後悔していた。後味の悪い別れ方をしてしまったのだ。もしかすると来ないかも知れないという不安が頭を過ぎる。もともとリーは乗り気じゃないのだ。もっと丁寧に頼むべきだった。
「大丈夫よ。来るわよ」、ハヤシさんがぼくの肩に手を置く。
「ハヤシさん。ありがとう・・・」
「そうさ。ヴァンは主人に逆らえない」
「ロランも、ありがとう・・・うん、でもぼくのとこのヴァンは主人に平気で逆らうから心配なんだ・・・」
 ハヤシさんの云っていた通りヴァン・ロランは今回の夜間学校にも参加している。同じヴァンと云えどもロランの容姿や性格はリーとは全く異なる。人間にも様々な人間がいるのだから、ヴァンにも様々なヴァンがいるのは自然なことだ。
「それにリーってロランと比べて献身的じゃないから心配・・・、」
 その時だった。
 ぼくの背後に目を遣ったロランが口笛を吹いた。
「誰が献身的じゃないって」
 はっと振り返るとそこにはリーが立っていた。
 廊下の窓から射し込む光がプラチナの髪にあたってきらきらしている。
「わあ、綺麗なヴァンね」
 ハヤシさんが早速リーに駆け寄る。
「あ、あんまり近づかない方が良いと思うよ」、ぼくの言葉を無視してロランまでリーに顔を近づけている。
「見ての通りおれもヴァンだが、あんたになら吸血されたい」
 トラブルは駄目だよ、と釘を刺しておいたことが効いているのか、リーはつんと横を向いただけだった。

 プログラムが開始された直後からリーは早速貧乏揺すりを始めた。
 講演会はプログラムの七番目、天体観測の前にあるので今帰られては困る、とぼくはリーの機嫌を取ることに必死だった。そんな時に限ってロランが横から邪魔をするのでぼくはハヤシさんに云ってやった。
「君のヴァンは軟派だね」
「そうかな。でもヴァン同士が伴侶を求めるのは当然だと思う」
 あっさりとそう云ったハヤシさんは再び前に向き直って、芸人を目指しているという学級の人気者二人の出し物に声を上げて笑った。
(伴侶か)。
 ぼくは今まで考えたことがなかったけれど、確かにハヤシさんの云う通りなのかも知れなかった。ぼくはやがて大人になるだろう。大人になって老いて死ぬだろう。その時にもリーは今と変わらぬ容貌で、ぼくが死んだ後も生き続けなくてはならないのだ。
 ぼくを忘れて?
 それとも、覚えて?
 ぼくは以前リーが「約束」について話したことを思い出した。あの時は気が立っていた所為もあってちゃんと理解できなかったけれど、今なら少しは解る。
 ぼくはリーの横顔を見上げた。
 整っている分、少し顔を歪めているだけでかなり神経質そうに見える。睫毛の先まで月の色だ。
 プログラムは中盤に差し掛かっている。
 ロランはまだリーを口説いている。あれだけ徹底的に無視されていながら、懲りないヴァンだ。
「ねえ、ヴァンって子ども産めるのかな」
 ぼくはハヤシさんに向かってそんな質問をした。
 詩の朗読に聞き入っていたハヤシさんはぼくのタイミングの悪さに一瞬迷惑そうな顔をしたが、ちゃんと答えてくれた。
「生殖は必要ないわよ。だって、死なないんだもの。遺伝子を残す必要がないわ」
 ぼくは解ったふりをして頷いた。
「じゃあ人間を愛さないの」
「あなたなら耐えられると思う? あたしなら、厭だわ。愛したって愛したって残されるだけよ」
 おんなのこって、ものしりなんだな!
 ぼくは体の中が冷たくなっていく気がして、リーに寄り添った。ロランとの交流を徹底的に拒否していたリーはぼくに対してはいつも通りだ。
「どうした?」
 どうした?
 それはぼくの方が知りたかった。

 その日の講演会はリーが主役の筈だったがロランが喋った。リーの気を惹くために買って出た役なのだろう。
 こうして無事に講演会は終わり、天体観測のためぼくたちはぞろぞろと中庭へ出た。
 恩を売ってすっかり強気のロランが肩に腕を回したのでリーはその鳩尾を殴った。
「おい、銀。用事は済んだんだから帰ろう。講演をしろとは云われたが変態の下半身の世話までは頼まれていない」
「え、これからが一番楽しいんだよ。それに、最初からロランに講演をさせるつもりだったんだろう。まんざらでもないって態度を取って。用済みだからっていきなり暴力は良くないよ」
「何だと。想像もつかないほど恐ろしいことを云うな」
「リーのしたことだろ・・・」
 ぼくに帰る意思がないのを確認したリーはあからさまに不愉快な顔をした。
「一番楽しいことなら何故一番最初に持ってこないのだ」
 そうは云ってもぼくを置いて帰らない。
 リーは渋々といった感じでぼくの後をついて来た。
「でも気球に乗ったことはないよね、リー」
 肌寒さを感じたふりをしてリーの腕にしがみつく。リーの腕はもっと冷たいのに。
「ああ。あれは晴れの日にしか飛ばないのだろう」
「一緒に乗ろうね」
 約束を嫌いなリーを知っている。
 でも、だから。
 ぼくは約束を結びたい。それが、リーの記憶に残るためなのか、それとも、約束は守られるものだって証明したいからなのか、どっちなのか。あるいは、どっちでもないのか。
 ぼくたちは楠の根元に腰を下ろした。
 これまで何度も空を見上げたように、これから何度も空を見上げることになっても、同じものにはなりませんように、と祈った。
「これはぼくと見る星空だよ」
 意味を汲んだのか手持ち無沙汰のためか、リーはぼくの頭を優しく撫でてくれた。
 幸せだからなのか、不幸せだからなのか、とにかくとても泣きそうだった、ぼくは。

060921